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2019年4月13日土曜日

無口という病気18



 背中の上の方が酷く痛む。
息をしても痛いし、喋っても痛い。
くしゃみが出ようものなら、視界が真っ白になる激痛だ。
キッチンに立ってはいられない。
無口という病気の良人(りょうじん)に 会社帰りにシウマイ弁当を買ってくるように頼んだ。
良人は、私が朝食も作れないだろうと思ったらしく、雨の中、お弁当の他にサンドイッチも買って帰ってきた。
私は、来年にはもう生きてはいないであろうと言う。
「牛男さんには、苦労をおかけしたわね。結婚して直ぐに私が難病になってしまって。」
牛男は、俯いた。


「私が死んだ後は、どうか再婚して楽しい人生をやり直してね。
今度は、身体が丈夫で優しい人と結婚するのよ。」
実は、私のこのセリフは今年になってから既に2回目だ。
1度目は、2月のおしまいだった。
その時は、昨年から膨らみだしたリンパ腺のしこりが次第に大きくなって、2月にはうずらの卵よりかなり大きくなってしまったのだ。
その間、体重もどんどん減っていった。
良人に、私の遺言のような言葉がどう心に響いたかはわからない。
何故なら良人は、無口という病気だから、私の言葉にも何一つ言葉を返さないのだ。
その後、私の容体がぱっとしない3月に、法事で実家に帰った折、横浜のいわゆる有名店の洋菓子を沢山買って帰宅したのだった。
横浜のお菓子を喜ぶのは大概東京人だ。私へのお土産ではないことは直ぐにわかった。
よくよく良人に尋ねてみると、
「A子さん、B子さん、C子さん、D子さん、職場にいる独身女性に配るんだ。」と。
そう語った無口という病気の良人の顔が久しぶりに明るかった。
 小学生ではあるまいに、お菓子で成人女性の気を引けると思っているのか。
けれど、私は久しぶりの良人の明るい顔が嬉しかった。
「A〜D子さんは皆んな、心が優しいの?ヒステリーじゃない?」
と私が尋ねると、
良人は「それはどうだかわからないな。女の人は、職場とおうちでは違うだろうから。」


未来を思う無口という病気の良人は、珍しく語るではないか。
その後、私のリンパ腺の腫れは思いがけず小さくなっていったけれど、今度は背中の痛み、食物もうまく飲み込めず、
血液検査でも14年前の病気発病時以来の最悪の結果となっている。
すると第二弾、今週の始めに良人は再びA子さんからD子さんまでにお菓子を配った。今度は、モロゾフの桜クッキーにしたそうだ。
私は、夢見る牛男がなんだか小憎たらしくなった。
工房ゆずりは 置地廣場


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