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2014年2月27日木曜日

昨日の通院

受診待ちの8時半、エレベーターに乗り合わせて来た女医の顔に釘付けになった。叶姉妹のお姉様のような顔に仕上げていた。普段、夜のモノクロの景色しか観ることができない私の目はうれしさのあまり捕らえて離れない。
左右の眼は幾重にも青いラインに縁取られて、 サメが向かい合っているようだ。
アスピーテのようになだらかな頬は、今にも噴火しそうな朱色を呈している。
苦痛だけの通院に、衝撃を味わいたくて失礼を顧みず3度も振り返ってしまった。乾いた喉に、炭酸水を流し込んだ感じだ。
私は、光から眼を保護しなければならずサングラスをかけている。サングラスをかけてなお、この鮮烈な色だ。
診療3分、メイクアップ60分かもしれない。
しかし、私の通院に昨日は一つの感動があった。

2014年2月26日水曜日

患者のつぶやき5


「毎日、皿を洗うのが人生なのか。」
単身赴任の友は言うだろう「俺だって、毎日皿を洗ってる。」
「窓を塞いだ、暗い部屋に籠って、天井を見つめる日々が辛くてたまらないのよ。」
発展途上国だけが勤務地の友は言うだろう「天井があるだけましだろう。」
でもね、
だけど、
こんなはずじゃなかったのよ、私の人生。

2014年2月23日日曜日

ドラキュラ的生活9

本格的な春が近づくにつれドラキュラの妬みひがみは酷くなる。
ソチ五輪も今日で閉幕だ。
夜が活動時間のドラキュラにソチ五輪は 絶好の観戦タイムで、選手達の真剣勝負は、病を忘れさせてくれていた。
しかし、フィギアスケートのエキシビジョンが終わると、鳴り響く派手な音楽とは裏腹に、心に蛍の光が流れてきて、ふと我に返ってしまうのだ。
皆、輝くアスリート。
我は沈んだドラキュラだ。
日の入りは毎日、着実に延びて、日の出も当たり前のように早くなっているという現実。
太陽光には少しも当たることができないドラキュラは、普通の人間に比べると、楽しめることがとても少ない。その一つには、ランチがある。ランチタイムにランチなどできるわけもないのだ。テレビでランチ情報が始まると、唇を噛んでチャンネルを変えるドラキュラだ。
さらに、ここ数年苦々しい言葉は、朝活というやつだ。朝に、仕事、勉強、趣味、交流などで自己研鑽することらしい。日が昇る前には、大人しく棺の中に入らなければならないドラキュラには、これまた論外のこと。
 夜のカフェ、閉店間際にはモーニングの看板とリアルなサンプルが並べられる。
カフェの扉を閉めて、「ちぇっ」と吠えてサンプルを指で押してから、家路につく。

ドラキュラの1日三度の食事はなんとなるだろう。夕食、夜食、深夜食か。
過日、カフェでいただいた白菜のポタージュは夜食

2014年2月21日金曜日

ソチ五輪、浅田選手トリプルアクセル成功

 


日本国民とファン待望のトリプルアクセルを、先ほどのフリーで浅田選手はついに決めました。思わず、涙がこぼれて、その後も次々に決めた3回転ジャンプとともに涙は、こぼれ続けてしまった。私にはよくわからないけれど決めた8回のジャンプのうち6回の3回転ジャンプは全て種類が違うらしい。得点も自己最高を更新した。
 今は、真央ちゃんと言うより浅田選手と言う気分だ。
こうなると、昨日のショートの予想だにしなかったミスが一層惜しまれるけれど、五輪という舞台で、最後に浅田選手らしい素晴らしい演技を観ることができてうれしかった。
16位に沈んだショートの演技後のインタビューでは、本人も何が起きたのかよくわからないと、呆然としていたけれど、たった1日で見事に立て直した。 
置地廣場
これまで、転んでも転んでも、応援する気持ちが途絶えなかったのは、浅田選手の変わらぬ初々しさとスケートにかける情熱 を感じていたからなのだろうと今わかった気がしている。
浅田選手、お疲れさまでした。金、銀、銅のメダルには届かないかもしれないけれど、ピンク色のメダルをどうぞ。

2014年2月17日月曜日

となりの患者11

となりの患者3には、実は醜いオチがあった。今でもしばし、苦々しく思い出すことがある。消灯時間をとうに過ぎた11時に、ベッドの上でお経を唱える80歳をとっくに過ぎているであろう婆の話だ。こらえ性のない私は、ある日、看護師に訴えた。すると、はりきり副師長がやってきた。しかし、証拠がなければどうにもならないと言うのだ。録音でもしろと言うのか、こちらは病人なのでそんな体力も気力もないのだ。諦めていると、その晩もお経が始まった。丁度その時、廊下を歩く看護師の足音がして、私は、やっとのことで廊下までよたよた歩き、お経を唱えている現場をわかってもらおうと呼びとめた。たまたま白衣の天使の金田さんだった(白衣の天使は、いる)。金田さんは、となりの患者のカーテンをそっと開けて、「もう11時を過ぎているので、他の患者さんの迷惑ですよ。」と言った。すると、ベッドから降りて出て来た婆が言った「何のことですか?」「お経のことですよ。」と金田さん。すると80歳を過ぎた婆から思いもよらぬ言葉がでてきた。「わたしゃ、お経なんか唱えてませんよ。この女の作り話でしょよ!」
 私は婆の言葉に唖然とした。そして、負けたと思った。尿たんぱくが大量に出ていて、立っているだけでとても疲れる私は、膝に手を当てて身体を曲げてうづくまるような体制で堪えていたけれどこの言葉に崩れそうになった。どんな組織にも、こういう奴は必ず、2人はいるものだ。問題が起きて、自分は知らないと公然としらを切る奴だ。いわゆる卑怯ものだ。相手が、婆じゃなく、私も元気だったら、首根っこをつかんで思い切り卑怯者と怒鳴っていただろう。80歳も後半だろうと思われるその婆。これまでの生き様が伺える。
 人に問われて、知らない答えられない、そんな宗教なんか、やめちまえ!私は、心底思った。
 しかし、動じなかったのは、金田看護師だ。婆の言葉をどこ吹く風とかわした。「お経はデイルームで唱えたらどうなの?」
 すると、婆は言った「そんな人前で、お経を唱えるのはイヤだよ!」 お経など唱えていないと、つい今言ったのに、金田看護師の言葉にひっかっかったのだ。「じゃあ、ナースステーションで唱えたら」と金田看護師。これについても、看護師がいるところでお経を唱えるのはイヤだと言った婆。「それでは、他の患者さんの迷惑にならないように消灯前にやりなさい」金田看護師は最後まで、静かに諭す様に言ったのだった。(登場人物の名前は仮名です。)

2014年2月16日日曜日

ちょっとだけ神楽坂

3日前のことで恐縮ですが、荒井裕子さんの個展を鑑賞した後、神楽坂をほんの少しぶらっとしました。 老舗のお店はどこもクローズで、ショーウインドーのお品のみ拝見となりました。
以前は、こちらの 陶柿園からダイレクトメールが届いていましたが、病気になって行けなくなって、いつしかメールもこなくなってしまった。こちらのお店もクローズで、奇跡が起きて光線過敏が寛解しないない限り、店内を楽しむことはできないんだなぁ。まあ、お金を使わなくていいかもしれないけれど。

  12年ぶりの神楽坂ですが、坂道沿いのコーヒーショップはチェーン店ばかりになっていて、どこにでもあるわけで入店する気持ちになれず••••

こちらは、喫茶店ではなく残念ながら美容室でした。





 坂道にずらっと留っているのは、高級外車と送迎の黒塗りの車。この光景は変わらない。

お茶を諦めて、向かった飯田橋駅近く、交差点にあったカナルカフェはロケーションが抜群でした。
店内の雰囲気も良かった。いただいたモンブランはもう一度食べたい〜


2014年2月15日土曜日

ソチ五輪、日本についに金メダル

男子フィギアスケート、羽生結弦選手が日本初の金メダルを獲得しました。おめでとう。ショートプログラムでは完璧な演技をみせ、フリーの演技では最初の4回転で転倒、3回転フリップでコースアウトがあったけれど、総崩れすることなくついに金メダルを勝ちとった。
 この数日は、金、金が欲しいなぁ〜と欲深く思っていた。11日までは、銀でも銅でもいいと思っていたのに。スノーボードで銀と銅が実現して時間が経ってからのこと。
 初の金とは、ソチ五輪でということもあるし、男子のフィギアでということもあって感動が一入だ。
さらにもつ一つ欲を言えば、やはり高橋大輔選手にもメダルが欲しかった。五輪は最後となると言う高橋選手には、まだ選手生活を続けて欲しいけれど、とりあえずこれまでお疲れさまでした。バラの花を高橋選手に。

2014年2月14日金曜日

荒井裕子さんの個展へ

もう既に、昨晩になりますが、荒井裕子さんの個展に行ってきました。たっぷり鑑賞したくとも、光線過敏の症状が重いため、日没後約30分を経た午後6時近くに自宅を出ざるを得ず、わずか20分間の鑑賞となりました。
 今回は、イタリアヴェネチアの夜が、アクリルの透明感のある鮮やかな色で魅惑的に描かれていて深く印象に残りました。また、冬の昼間の風景画も、冬の暖かさ、冬特有の明るさに引きつけられました。冬を象徴するような対象物があるわけではないのに、冬と教えてくれるのです。色彩と構図によるものなのでしょか。
ギャラリーには、相棒の文庫本表紙を飾った原画もあり、思わず目が止まってしまいました。 荒井さんの個展は飯田橋ギャラリースタジオⅱBRIDGEで土曜日まで。入場は無料です。 http://home.att.ne.jp/gold/hirokoarai
受付に置かれていたペーパーウエイトは、ガラス職人だった以前のイタリアのアパートオーナーが下さったそうです。
帰途は、12年ぶり?神楽坂をぶらっとして、飯田橋駅近くのカナルカフェブティックでお茶をしました。以前はマクドナルドだった場所、その前は写真館だった?ような気もするのですが。
いただいたのは、モンブランとイングリッシュブレックファーストティー。モンブランは、この手のは苦手なのだけれど、こちらのは最後まで美味しくいただけた。クリームが甘さ控えめでかなり上質。底のパイ生地は、サクッとしていてクリームと合っていて文句なし!交差点の人と車とが眺められるお店のロケーションで雰囲気も良かった。しかし南部鉄器?のポットでいただいた紅茶は特有の渋みも旨味もなく、いま二つだったのが残念。

2014年2月12日水曜日

ソチ五輪、日本に初めてのメダル2つ!



おめでとう!スノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢選手15歳が銀、平岡卓選手18歳が銅のそれぞれメダルを取った。
平野選手は、冬季五輪で日本史上最年少となるらしい。
平野選手は1回目も2回目も、ともに安定していた。1回目は危ういと思った場面があったけれど、あっさりいなして、夜空に高く舞い続けた。今回メダルを逃した世界のショーンホワイトにプレッシャーを与えたのではないか。
 平岡選手も1回目は9位だったけれど、2回目で大逆転を起こした。2人の技術と精神力の強さに感心した。これまで日本にメダルがないというプレッシャーなどなんのそのという感じだった。2人とも、自分のやることをやるという平静さが、伺えた。
これより前、女子アイスホッケーで日本はロシアに敗れて、決勝に進めなくなった。ジャンプの高梨選手も1回目を終えて3位につけている。もしや日本にメダルが???と思われたけれど、ここで一挙に2つのメダル獲得となった。そして、スノーボードでの日本のメダルは初めてだ。

2014年2月11日火曜日

チョコ

ここにきて、チョコレート商戦は、ラストスパートだ。
ロシアのソチ五輪は、開幕から3日目となって熱くなってきている。丁度今、スピードスケート男子500メートルの2回目が始まった。日本にはまだメダルがないので、前のめりになって睨むように観ている。昨夜までは、腕を大きく振ったりして真似てみたりしていたけれど、今やそんな気分ではなくなった。
スノーボードで障害物として現れたマトリョーシカが、日本ではチョコレートで登場か?ショコラーシカと言うらしい。
飼い主は、チョコレートを買っているのだろうか。
こちらは、チョコちゃん2歳。雪の日は、はしゃいだそうだ。

2014年2月10日月曜日

都知事選、投票率46.15%

雪の明日の投票日、投票率は過去3番目の低さとなって前回の62.60%を大きく下回った。結果は、舛添さんが当選を確実にした。
やはりだ、こうなると組織票がものを言いうのだ。 
夜道を行った小学校までは、2キロ近く。
 光線過敏の症状が重い私は、投票時間が午後8時までという夜間の投票時間で救われている。 
企業が入るビルの廻りは、管理会社の社員がきれいに雪かきをしたのだろう、雪が取り除かれて明日の社員の出社を待っていた。
民家があれば、民家の前もきれいに雪がなく、ほっとした。
しかし、それ以外のところには、雪また雪で、慎重に歩かなければならなかった。車道で自転車が滑って転倒、後ろから車が来てひやりとする場面もあった。
夜とあって、投票場の小学校に向かう人は、1人、2人と数えるほどだった。いつもは、投票を済ませた人は、これから投票する人との動線を違えて、校庭を突っ切らなければならない。ご覧の通り校庭は雪で覆われている。
投票用紙に書き終えると、となりの良人が誰の名前を書いているのか、気になる。ちょっと覗いてみた。良人は気配を感じたのか、書き始めない。私は、「○○○○○」と耳元にささやいてみた。
投票を終えて思いやられた校庭の雪だったけれど、今回ばかりは、行きも帰りも同じ通路だったのでやれやれだった。
お年寄りは、行く事ができなかったであろう今日の投票。私も歩くことができなかった2年半の間に3回の投票をパスせざるを得なかった。一度は、タクシーで行ったけれど、往復で3千円近くかかり、やはり高い!と感じたし、痛みも激しかったので投票どころではなかった。
結局のところ、歩くことができない人は投票に行けないのだ。
夕食は、近所の居酒屋ですませました。その時は、まだ都知事選の結果はわからず、美味しくいただいた。
帰途、薄皮まんじゅうのように歩道を覆う雪は、固くなって、滑りやすかった。そして、帰宅して、舛添さんの当確を知ったのだ。
明日の朝は皆様どうかお気をつけて下さい。