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2020年9月19日土曜日

お彼岸


 
まことに不思議な日となった。
憂鬱の山を一つ超えなければならない日だった。
昼夜逆転の暮らしを余儀なくされているドラキュラである私は、
朝、床に就いて、夕刻に起床する。
外に出られるのは、真っ暗になった夜を迎えてからだ。
ところが、憂鬱の日は、まだ明るい午後の4時半に出かけなければならなかった。
 
 
頼りなのは、先方の担当者のとろけるように優しい声一つだけだった。心強いようであって心細い。
知り得ているのは「声」つまり声色だけであって、人となりは全くわからないのだ。
いよいよの昨日、もしも向こうで問題が起きても、あの優しい声の人だったら、後日の手続きとなるだろう。私は、無理矢理にそう自分に言い聞かせて眠りに就いた。
けれど、良く眠れなかった。11時、12時、13時と結局1時間ごとに目が覚めて、とうとう身支度を整えなければならない15時になってしまった。
念入りに日焼け止めを塗たのちに、
太陽光を完全にシャットアウトする特別な身支度を整えて、タクシーの無線センターに電話をした。
「できれば、黒 」と頼んだ。それは、黒の車の運転手さんはとびきり親切なのが常だからだ。
憂鬱の実がパチンとはじけてしまいそうなぐらいに、受話器を持ち続けた。なんとか黒が手配できたと伝えられて、雨でもないのに完全遮光傘をさしてタクシーに乗り込んだ。
 
 
行く先を伝えると
「ご無沙汰しております。」と運転手さんが言う。
私は、通院でお世話になったことのある人だっかと安心した。
こちらの光に当たれない事情を承知しているからだ。
ところが、座した後、顔面を完全遮光板で覆った私が、ぴんと来ないと見た運転手さんが「あんこさん、佐藤です。」と言う。
驚いた。何年ぶりだろう。大層お世話になった運転手さんだったのだ。数年前に、佐藤さんは、住まいがあったこの地を離れて、タクシー会社も変わったので、それきりになっていた。 
 今日のこの日が、年明けから憂鬱だったと私が言うと、事情を良く知る佐藤さんは「そりゃそうでしょう。」と言ってくれた。そして、目的地で事が済んだら、また迎えに来てくれると言ってくれたのだ。
私はこの偶然に、今日の憂鬱事がなんとかこなせるような気がした。

 

電話の優しい声の主は、その声に偽りなく、親切に対応してくれて、事なきを得て目的は済んだのだった。
 
帰途、闇夜に辺りが包まれようとしている中、
佐藤さんのご子息が薬学部の大学生になったと聞いた。
手狭になった自宅を売って、臨海部に引越してのち、不登校だったご子息が新しい中学に通うようになったと言う話が最後だった。
「無線をとって、あんこさんのお宅と言うのにびっくりしました。」と佐藤さん。
思い返せば、光線過敏の症状が始まった時からお世話になっていた。歩行が困難だった時にお世話になっていた運転手さんが地元のタクシー会社を辞めるに当たって、信頼できる人として教えてくれたのが佐藤さんだった。そのタイミングで私は新たに、光線過敏の症状が始まったのだった。その時は、「年をとってからの子供で、下の子が今度やっと小学生」と聞いた。そのご子息が大学生なのだから、私も本当に長く患っているものだ。
その間に亡き親もお世話になった。佐藤さんの物静かで誠実な人柄に、亡き親も信頼をおいていたのだ。
佐藤さんと、そんな話をしていたら「あんこさん、お彼岸ですよ」と。
「ああ、お彼岸なのね」と私。
(登場人物の名前は仮名です)



2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

なぜだか、ジーンと来ました。

あんこちゃん さんのコメント...

Unknown さん
コメントありがとうございました。
大東京で、こんな偶然があるのかと本当に驚きました。
通常は、無線で探してもらって直ぐに見つからないと、断られておしまいです。
再度、時間を空けて電話するしかないのですが、かなり範囲を広げて探してくれて見つかった車だったみたいです。
これからもコメントお待ち致しております。