「落ちぶれて」
「落ちぶれて」
普段、滅多に言葉を発しない良人(命の洗濯場)が 、昨日言った。私への言葉だ。
自らの爪もよく見えない、灯りを消したお風呂場で、幾度もこの言葉をかみしめた。
かつて健康だった時は、こんな暑い夏も、北から南まで出張に追われていた。
8がいくつも並んだ、ある年の日、8月8日の仙台出張が始まりだった。いわゆる均等法が施行されて、お給料も昇級も男性と同じということで採用されたけれど、古い体質の組織で、女性の宿泊を伴う出張が許されるまで1年を要したのだ。京都へ出張だと上から言われて、勇んで出張用の鞄を買った。しかし、上の上の上がノーだったのだ。(上ってどこ?)そして1年を経て、職場で女性で初めての宿泊の出張となった。
それから、暑い夏の旭川、東京の暑さとは違った、ねっとりとした暑さの大阪に10日以上滞在したこともあった。福岡では夜の8時でも薄明るかった。その頃の自分はどうだったろうか。謙虚だったろうか。否、おごっていたに違いない。
そんな時代を、良人は知る由もないのに、察しているのだろうか。
始まりは喘息だったけれど、難病になって、人生は一変してしまった。 今や、夜しか外出できないし、疲労すれば、腎臓が壊れたり、関節の炎症が始まる。何事も他人にお願いをしなければならない。この数ヶ月は、切迫した問題の対応を、他人に、専門の事業者に頼むのに、電話で土下座をするがごとくであった。最後に、昔の職場の同僚が代理人を引き受けてくれて、ようやく一時的には、解決した。
落ちぶれて、落ちぶれて、今や土下座が当たり前のようになってしまった。
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