薄墨が白い和紙にぽたりと垂れて、
沁みてじわりじわりと広がり続けた。
1ヶ月が過ぎてようやく止まったか、でも乾かないままだ。
あまりにも悲しい通院の日であった。
闘病生活が18年に及んでこんな事が起こるとは想像だにしなかった。
皐月のその日は、私には辛い晴天で、それでも主治医がとても温かい人柄なので、医師の前に座れば救われる。
その時を心の拠り所に、重装備でタクシーに乗り込んで病院に向かったのだった。
当日の受診券には長くお世話になるそのT医師の名前が刻まれた。
なのに、待てど検査の声はかからず、尋ねた2回目に今日は代診医師だと告げられた。
私の頭によぎったのは、父上が完全に引退した地元横浜の医院が多忙を極め、急に大学を去ることとなったのか?と言う事だった。
すかさず、今日はともかく今後の医師はどうなるのか?と受付のスタッフに尋ねると、どこかに消えて戻ったスタッフが言った。
「今後のことは代診医からお話しします。」
そして診察室で代診医から発せられた遠回しの言葉を、私はわかりたくなかった。
呆然としている中で「 T先生が診察をすると言うことはもうないのです。」と代診医が言った。
まだ働き盛りのT先生だった。16年も高診していただいた。
丁寧で温和で、途中で光がダメになった私に慎重に眼を診ていただいていた。
大学病院の勤務医で温和に接してくれる医師は数少ない。偶然にも父上が高校の同窓生でもあったので、引退後の父上のお話を伺うこともあったし、画家の同期生のポストカードを差し上げた時は「イタリア旅行が好きな父が喜ぶと思う」とおっしゃって下さった。
クリニックの患者数は月に優に1000人は超えていたであろう。
多忙で疲労が重なっていたろうか。
帰宅後、夫に調べてもらうとその日の日付で医院のHPに院長急逝による廃院のお知らせが掲載されていた。
年長の患者より先に逝ってしまわれた。
悲しみが尽きないでいる。
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