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2018年3月8日木曜日

カフェにて



 男は熱く自らの生き様を語った。
まず、今の仕事に就くに至った経緯。
それより以前の最初の就職活動、
メーカー営業職での仕事ぶりについて。
真剣に聞く女は、何度も頷いていた。
男の話が終わって、感想を求められた女は、
「壮絶な人生ですね。」と言った。
私がちっともその話を壮絶だとは思わなかったのは、
私が女より二つばかり年長だからかもしれない。
向かい合う男女。
黄色いネクタイの男29歳と、
取り立てて取り柄のない感じの女は、
生保の営業マンとその勧誘に応じそうな女だ。


どこまで本当かわからない男の話を聞かされた女は、
「岡野さんのこと少し伺っていいですか?」と男に同意を求められた。
癖のない性格の真面目そうな女は、「はい。」とそれに応じた。
女は、自らの歳を26歳と言った。
どうやら女の職場の後輩が先輩である女を生保の営業マンに紹介したようだ。
しかし、改めて仕事を尋ねられた女は名刺を渡した。
その後、出身大学とその学部、両親の名前、両親の年齢を尋ねられた女は次々と答えていく。
両親との同居を聞かれた女は、つい最近両親が離婚したことも言った。
するとすかさず、男は、「うちの両親も離婚しているのですよ!」「僕が五つの時にね。」と言う。
普段どこで飲むかを尋ねられた女は、「この近辺かな。」と答えると、男はこの近辺のお勧めの飲み屋を教える。
スピリチャルなことを言ってくれる人が良く現れる店なのだと男はいう。
スピリチャルが好きな女は多いものだ。
どんな音楽を普段聴くかと男に尋ねられた女が「椎名林檎とか」と答えた。
すると男は大勢の客がいるカフェで椎名林檎の歌を歌い始めた。
男が歌ったのは、ワンフレーズだった。
今度は、女に女の描く将来像を男は尋ねた。
まずは、彼氏が今いるか、と。
私も、身を乗り出して、 女の口元を見た。
女の口は、あっさり「はい」と言った。
男は、ゴクリと唾を飲んで、男の話のテンポはさらにアップした。
彼氏のお名前伺ってもいいですか?という男の問いかけにもあっさり「サトル」と答えた女。
さあ大変だ、男と顧客の距離は一気に縮まって、
男はサトルさんを連呼し始めた。
サトルさんとの結婚は考えているか?サトルさんとはいつ頃までに結婚したいか?サトルさんと結婚しても今のお仕事は続けるか?サトルさんとの間に子供は欲しいか?サトルさんとの子供は何人欲しいか?子供は女の子か?


聞いていた私は、だんだん落ち込んできた。
だいたい私は、椎名林檎の歌は一曲も歌えないし、
もはや、エネルギッシュに話し続ける体力もない。
自らの半生を流れるように語るには、とりあえず原稿に起こすしかない。
その原稿を覚えきる記憶力も衰えてきている。
万が一、難病が寛解しても、そもそも生保の営業職に私が採用されることもないかと我に返ったのは帰宅した後の入浴中だった。
 (登場人物の名前は全て仮名です。)

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