「暑いわね!ここ!」
コーヒーカップの向こう側、
富美子さんが言った。
ちょいクレーマーの私だけれど、
すみません、エアコン強くしていただけませんか!
とお店のスタッフに言わなかった。
ファーのついたダウンジャケットに
ウールの色鮮やかなスカーフに包まれた首が、
私の眼前に迫っている。
そう、それは一昨晩の富美子さんの出で立ちだ。
昔、富美子さんにお部屋を借りていた。
大家さんだ。
メイドインイタリーのパナマ帽にハイヒールで、
とんかつを食べた後のスーパーマーケットで、
富美子さんに偶然出会ったのだ。
夜、偶然会うと、二人でカフェに行く。
時に、富美子さんから呼び出しの電話がかかることもある。
そんなとき私は、尻尾を振って、出かけて行くのだ。
富美子さんのお友達の和歌子さんが一緒のこともある。
富美子さんからお部屋を借りていた8年間は、
私は、すこぶる健康だった。
それでも何かにつけ、富美子さんには本当によく面倒をみていただいた。
インフルエンザで入院した時は、富美子さんと叔母さまが毎日病院に飲み物や下着を持って来てくれたのだ。
そして、私が自称28歳と若輩者だから、私からは意見は言わないように心がけている。
けれど、一昨夜は、
「富美子さん、コートは脱いだらどうかしら。」と言ってみた。
富美子さんはコートの下にウールのセーターも着ていた。
夜空には、紋白蝶のように白い花水木の花が夜風にひらひらと揺れて、
路地には麗しき躑躅(ツツジ)が咲き誇っている。
花屋の店先には紫陽花の鉢植えが並んでいる。
もうそんな季節だ。
今日の東京は、最高気温が20度、最低気温は14度、曇りの予報です。
マフラーも、コートもいらないでしょう。
(登場人物の名前は全て仮名です。)
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