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2012年2月23日木曜日

となりの患者6

となりの患者が入院してきてまだ間もない時だった。下痢が続いているようで、いつも慌ててトイレに駆け込んでいるふうだった。病室にはトイレがない。古いふるい病棟は、おそらく昭和40年代の建物だろう。廊下を10メートルほど歩き、コーナーを曲がってさらに6メートル歩いてやっとトイレ入り口だ。
 ある日、となりからぷーんとうんこの臭いがしてきた。間に合わなかったのだろう。となりの患者は、急いでトイレに行ったようだった。私もくさい臭いに耐えかねて、部屋を出て廊下に出た。夜中で、各病室の電灯は消され、廊下の灯りも控えてあった。うす暗い中、となりの患者と思われる婦人が戻ってきた。とても不自然な歩き方だった。暗いし、となりの患者の顔がまだよくわからなかったので、となりの人かしら?と、つい、すれ違ってから、振り返ってしまった。すると、お尻まる出しの、すっぽんぽんなのだ。驚いたのなんの。ぎょっとした私は、まさに心臓が止まりそうだった。パジャマの上着は着ている。しかし、ズボンをはいていないのだ。パジャマのズボンを手に持ち、ズボンの足を垂らして、病室側の方の脚に当てて歩いている。ちなみに廊下に面した各病室の扉は全開だ。暗いので、病室から見たら、ズボンをはいているように見える?かもしれない。私が振り返るまで、それと気づかなかったのは、私とすれ違う時は脚の前側(正面)にパジャマのズボンを当てていたのか?
 後のち、となりの患者と私は仲良くなった。70歳半ばのとてもいい人だった。この病院には20年以上通い、しょっちゅう入退院を繰り返しているという話だった。夜中に、トイレに看護師を呼んで、病室に下着を取りに行ってもらうのは悪いと思ったのだろう。勝手知ったる我が家のような病棟、すっぽんぽんでベッドに帰った方がてっとり早いと、入院キャリアもそうさせたのかもしれない。
 となりの患者は、合計6つの病室をつなぐ廊下をすっぽんぽんで歩いたのだ。

2012年2月19日日曜日

白衣の天使は、いる

白衣の天使はいます。
3人部屋で、連日の絶え間ない猛獣のようないびきに、私は心身ともにまいっていた。いびきの犯人は数々おれど、天使が舞い降りたのは、以前、となりの患者3に書いた老婆の時だった。80歳を少し過ぎた感じと書いたけれど、正確には86歳だった。その歳で、体格が良いわけでもなく、よくぞそんな爆音を出せるものか苦々しいこと限りなし。若い人なら、私はとっくに枕を投げつけていたに違いない。
 トイレで、2部屋も離れた病室の婦人に「アナタぁ〜、お気の毒ね」と言われた。は?とした私の顔を見て「私のところまで聞こえるんですよ。すごいイビキが」と言われた。私は、眠れない日々が辛く、思わず涙がでそうになった。「本当にまいってます。一晩中ですから。毎晩」と言った声は震えてしまった。
ある晩もいびきの老婆と私は二人きりだった。猛獣いびきに眠れず、右を向いたり左を向いたりしていた。
すると1時ごろ、「あんこさん、今日2人部屋で一つベッドが空いているの。そこで寝て」優しい小さな声は、看護師の金田さんだった。金田さんの声は、大きないびきにかき消されそうで、絶望していた私は、言われた事が信じられなかった。夢かうつつか?しばらくぼーっとしていた。「二人部屋?」「でも、もう1人の人は静かなの?」金田さんは、「おばあさんでとても静かなのよ」と。
私は、こくんと頭を下げて導かれるまま、その部屋に入った。金田さんに、手を引かれてはいなかったと思うけれど、天使が手を引いて導いてくれた感じがした。病室にたどり着いた私は、正気に戻り、真っ暗な病室でとなりの患者をこっそり覗いた。となりの患者が本当にいびきをかかないか心配になったのだ。ベッドをぐるりと医療機器がとり囲み、ボタン信号がいくつも点滅していて、患者の様子は見えなかったけれど、寝息すら感じられなかった。私は、その晩だけぐっすり眠ることができた。白衣の天使は、おそらく毎晩の猛獣いびきを知っていたのだろう。(登場人物の名前は仮名です)

2012年2月8日水曜日

患者心得7

クリニック(診療所)の看護師は、腐っているか患者サービスに徹底しているかどちらかです。前者は、駅前など好立地のそこそこ繁盛のクリニックにありがちです。そして、経営者である院長が比較的若い場合が多いです。院長のマネージメントがうまく行かず、操縦不能状態なのでしょう。患者を診察室に呼び入れるのに、患者の名前を怒鳴る。診察の際は、壁によりかかりふてくされたように休めの姿勢だったり・・・腐った魚は、再び活き活きしてはきません。クリニックの体質は、患者が減少して初めて変わるものです。

2012年1月26日木曜日

きんかん煮

となりの患者について、とやかく言えるほど、私はごりっぱな患者なのか?
否。醜態、お騒がせは数知れず。例えばこんな事も。
入院中、緩解し、歩けるようになった時、デイルームに掲示される献立表を見て食事を楽しみに待つようになった。季節は秋、献立表にきんかん煮とあった。私は想像した。お砂糖か蜂蜜で煮た、オレンジ色の小さな丸い金柑が、つやつやと光り輝く様を。やわらかい皮が口の中ではじけて、ほろ苦さと甘さがまじり合うその感じを。小鉢の中に、5つぐらい入っているかしら。私はわくわくしながら夕食を待った。そして、6時、運ばれてきたトレーの上の小鉢、中鉢のフタを一つずつ開けていった。「ない!」「きんかん煮がない!」くそ忙しく配膳している看護師さんを呼んで、訴えた。「きんかん煮がないんです」
 すると、おしゃれな看護師の工藤さんが、真剣にとりあってくれて、「本当だ、献立にきんかん煮って書いてある」「きんかん煮って、甘く金柑を煮たのよね。お母さんがよく作ってくれるわ」トレーの上の一品一品のフタを開けて工藤さんも言った「本当にない!」。私は「ごめんね」といいながら、私のお鉢の載ったトレーを撤収する工藤さんに、くっついてナースステーションまで、てくてくと歩き、がっくりと椅子に座た。工藤さんは、私のトレーを机に置くと、献立表を片手に、調理室に電話をしてくれた。「献立表のきんかん煮がない患者さんがいるんです」そして、工藤さんは、なにやら説明を受けていた。そして、工藤さんは、紅潮した顔で私に言った。あんこさん「がんもどきの煮たのを、きんかん煮と言うんですって!」
「すみませんでした。」と何回か言ったけれど、工藤さんの返事はなかった。(登場人物の名前は仮名です)

2012年1月2日月曜日

患者心得6












そこそこの病院で、各診療科に優秀な医師は、たいてい1人と思った方が良い。私が言うところの、そこそこの病院というのは、地域の基幹病院で300床以上 のという感じです。昔の総合病院に近いイメージで、より具体的に言えば、特定機能病院や地域支援病院、三次救急指定病院(特定機能病院はたいてい三次救急指定病院ですが)あたりです。ちなみに、総合病院と いうのは、医療法上は、とっくに廃止されております。医療関係者は、よく承知していると思いますが、マスコミや普通の人は知らないことが多いようなので念 のため。
さて、写真は本題とは全く関係なく、すっかり足が遠のいてしまった横浜の西口ジョイナス前のイルミネーションです。昨年12月30日に 撮影したものです。イルミネーションは、2体ではありません。1体のツリーを思わせるイルミネーションがまばゆいばかりの金色から鮮やかなグリーンに変化す るのです。昨年見たいくつかのものの中では、圧巻の美しさで、横浜も捨てたものじゃないのかと思えたほどでした。
話を戻しますと、病院には、各科にせめて2人優秀な医師がいたらいいなぁと思うのであります。勿論、専門病院は除いてのお話です。

2012年1月1日日曜日

サッカー天皇杯

恒例の元旦決勝戦は、史上初のJ2同士の戦いとなる。
出場するかのようにわくわくしている。
準決勝のセレッソ、FC東京戦での播戸選手の大胆なハンドは、何故か責める気持ちにならなかった。播戸選手のわかりやすいもの言いと、連動しているようで。セレッソのファンではないし、FC東京のファンには怒られそうだけれど。

2011年12月28日水曜日

希望の翼

22日に銀座に行きました。写真は、中央通りに並ぶ、復興を願う希望の翼です。4年前には、もう一生、普通に歩くことはできないと言われました。今は、ステッキ片手に横断歩道を渡り、銀座のショーウインドウを見て歩くことができるようになりました。
迎える年が、皆様に希望のもてる年となりますように。そして、今年もこのブログを読んでくださってありがとうございました。

2011年12月15日木曜日

ドラキュラ的生活

ドラキュラ的生活も3年半となりました。光線過敏で紫外線が全く駄目なので活動はもっぱら夜です。日中の外出は論外で、いかに自宅室内で安泰に暮らすかが私の日々の課題です。
 今年も7月後半から9月いっぱいは、特に辛い生活となりました。2年前に室内に完全遮光カーテンを取り付けました。カーテンレールに完全遮光布でカバーをつけるも、四隅、脇から光が漏れてくるため、1分と居られず、家の中で傘をさして暮らすという滑稽な状況でした。安住の場所は、窓のないトイレ前、洗面所です。
 昨年冬に、窓のサッシに直接完全遮光のカーテン布を貼り付け、窓を塞ぐという策にでました。これで、昼間は、完全遮光傘一本をさして眠れる。いえ、7月初めまでは、眠れたのですが、夏の熱さで、サッシ部分の遮光塗料が剥げて、光が漏れ始め撃沈。勿論、外側には完全遮光カーテンという最期の砦があるのですが、四隅、脇から漏れてしまうのです。その後、完全遮光布を取り寄せるも、放置したままに。布を張り合わせ、大きな窓に設置する作業は、とても難儀です。なんせ衰弱著しく、医師のよればこの手の病気の人は、夏の暑さで、病態が悪くなるそうです。その場しのぎに完全遮光傘を二本、バッテン印のように頭の上に広げて寝るものの、寝返り打てず、肩はコチコチに。そして、先月、介護事業所の方と木の窓枠に完全遮光布を貼る作業を終え、なんとか傘1本で昼間眠れるようになりました。
 さて、今年の進歩はもう一つ、ビオチンにより、股関節痛が大きく改善しました。4年ぶりに階段も上れそうなほどです。信号も次の青開始まで待たずとも渡れるようになりました。股関節の激痛は、光線過敏の症状が始まってからだいぶ和らいでいました。症状がスイッチした感じです。それでも杖歩行ですし、疲れると痛みは増すという状況でした。
 私の場合、ビオチン散0.2%「ホエイ」を1日0.5グラム服用しています。最初は恐る恐る半量の0.25グラムを飲みましたが、飲んだその日から、痛みがほとんどなくなった感じです。そもそも光線過敏がなんとか治まらないかと、医師に「何か、なにかないですかぁ〜」とすがるように申したのです。服用して半年近くになりますが、残念ながら光線過敏の方にはまだ効果は見られません。
 自己免疫疾患による関節炎、リウマチの方はビオチンを試してみる価値があるかと思います。
(写真は、先月10年ぶりに行くことができた二子玉川のデパート前です。)

2011年12月4日日曜日

となりの患者5

病棟で、お局様と呼ばれている老婆もまた入院している事が多いようだった。しかし、おもしろ話8(となりの患者)のとなりの患者と決定的に違うのは、確かに時々は退院していることだ。なぜなら退院の時、私はもう一人の患者と、タクシー乗り場まで、お見送りに出たこともあるからだ。
 病棟でただ1人、シルクのパジャマを着て、バーバリーのサンダルを履いていた。ドラマ「下流の宴」のモデルではないかと思われるような人だった。最もドラマの主人公由美子ではなく、由美子を育てた母親(野際陽子が演じていた)に酷似しているのだ。由美子の母親は、医師である夫を若くして亡くし、補正下着を売って、娘達を大学まで出したという設定だった。由美子の母親は、貧しく暮らす、由美子の同級生をあっちに住む人と言いさげすんでいた。
 お局様も若くして開業医である夫を亡くしながらも、娘達を私立大学の医学部を出したというのだ。お局様は、補正パンツを売って娘達を医師にしたのではないようだけれど。お局様の父親も開業医だったそうで、察するところ、親の資産で娘達を育て医学部を出したのではないかと思う。
 お局様は、人類を「医師」と「医師でない人」とに分けて考えていた。看護師を今だにあえて「看護婦」と呼び、看護婦なんかと結婚する医師を「あちらの方」と言うのよと。お局様によれば、一流の医師は女医と結婚するというのだ。お局様ご自身は、医師ではなくG大学をご卒業の、いわゆるお嬢様なのだが。「昔はそういうものでしたもの」とおっしゃるのだ。
 お局様と病棟廊下で会うと、いつもお局様が一方的に、至らぬ婿殿や看護婦の話をする。お話が終り、お別れの時、何故か私は「ごきげんよう」と言ってしまっていた。

2011年11月19日土曜日

となりの患者4

診察を待つ間、待合いの椅子に座るとなりの患者、靴を脱ぎ捨て右足を左の足にちょいと伸せて、足裏ツボをぐいぐい押している。
私もやりたいけれど、まだその度胸がありません。