今回初めて行われた同窓会に出席したくともできない友人から、同窓会の詳細報告を命じられていた。1人は既に20年以上米国に在住している友人、もう1人は、今月初めから中米に出張 となってしまった友人だ。
会は6時からだけれど、光線過敏の症状の重い私はその6時に自宅を出発せざるを得ない。曇りだったのか少々早く出発できて、下り電車に乗り込む。忘れていたけれど、乗車時間は30分程度と知る。こんなに近かったのか?電車内の蛍光灯を防ぐ為に、完全遮光の帽子に替えて、座っているうちに、口の中が異様に乾いてくる。薬のせいか、緊張のせいか、当然のように一駅ごとに目的地に近づいてくる。胸の鼓動が高まり、電車が止まってくれないかとさえ思い始めた。
とうとう到着してしまい、自販機でお茶を買い、口に含んでひと呼吸。しばらくぶりだけれど、迷わず進めるのは、やはり子供の頃からのホームグランドだからか?タワーの写真と、観覧車の写真を撮り終えると、大きな犬を見て後ずさりする小さな犬のように、引き返したくなってしまった。友人2人には写真だけ送り、まあ楽しかったとコメントすればいいじゃないかと。
しかし、友人の一人が恐いもの見たさで出席するとメールにあったので、お化け屋敷に入るつもりで行くかと腹をくくった。
しなやかに、受付に導いてくれた幹事は、昔たいそうモテた男子で遅刻にもかかわらず「あんこさんですね」と言葉をかけてくれて、すっかり、気を良くしてしまったのだった。あんこを覚えていてくれたなんて。なんせ少子化の今では、考えられない同期生540人の高校だ。 受付担当者が、杖に気がつき「お怪我ですか」と聞いてきた。「いいえ、病気なんです」と答えると「失礼しました。私、医者なもので」と。ネームプレートを受け取りながら、心の中で思った。『最初の一人が、普段深く深く尊敬して止まないお医者様ですかぁ〜』医者も何人かいることは承知しているけれど、受付の彼は、在学中に知らない人だった。先が思いやられるなぁと思ったけれど、参加者134名に対して会場は狭隘でひしめき合い、名刺交換などの姿は、見かけなかった。思いがけず、昔のクラスメート達も話しかけにきてくれたのでなんとか居場所はあった。受付の医者は整形外科医で既に開業していた。そう、医者なら開業していて当然の歳でもあるのだ。整形外科医と言うので、かつての整形外科の主治医の教授の名前を挙げると、「以前、手術の技術を学ばせてもらうために伺いましたよ」と、2年前に退官されたことも知っていた。世間は狭い。病名を小声で伝えると、同期生の顔は曇り、力にはなれないけれど、なにかあったらとメールアドレスを教えてくれたのでありがたい。
二次会との間などには、名刺交換を、目立たぬように所々やっていたようだけれど、派手にやっていたのは、女性誌の編集のお偉いさんだ。 デラックスなんとかさんがよくテレビで散々に言う奴だ。今やいわゆる一流企業おえらいさんになっている男子達に名刺交換を求めていた。私は、フンと横を向いた。
二次会のおしまい近くに、以前は仕事で関わりの強かった国家お役人様に「今や、お前はただのしゅふか!」と罵られるように言われ『お前、おかしな事ブログに書いて懲戒処分くらうなよ!』と言ってやりたかったけれど、言えなかった。本当に、本当にただの病人、ただのおばさんになってしまったのだから。モー、クヤシー!!
観覧車と映ったバスは、市バスかと思ったら、時々テレビでアナウンサーに「カナナカ」バスと読まれるバスだった。