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2013年4月30日火曜日

行楽気分

ゴールデンウイークまっただ中、新茶のペットボトルをスーパーマーケットで眺める。
あっぱれ、若葉の山を眺めたわくわく感だ。








 おにぎりを買って、おでかけ気分だ。
コンビニに、おにぎりは、兜をかぶって並んでいた。
行楽とは、山野に行って遊び楽しむことらしい。光線過敏の症状の重い私は夜しか外出できないので、山野を楽しむことなんぞできないのだ。夜、暗いラーメン屋でラーメンをすするのは、行楽とは言わないのだな。

2013年4月27日土曜日

患者のつぶやき

サラリーマン時代は、上司にペコペコ頭を下げて命を磨り減らし、患者になってからは、医師にペコペコ頭を下げて命を縮めている。

2013年4月26日金曜日

終了1分前のゴール

30度を超える気温で非常に蒸し暑いというタイでの試合、選手達の顔は、髪は、汗で濡れていた。昨日のアジアチャンピョンズリーグのブリアムと仙台の戦いの後半は、どちらのチームの選手も疲労が見てとれた。ブリラムに先制され1点を追う試合は45分に近づくにつれ、諦めの境地に達していた。1次リーグは敗退だなと。45分を迎えた時には、すっかり諦めた。アディショナルタイムは4分あったが、ボールが支配できない。ところが終了1分前、キーパーが一度弾いた玉を、途中出場の中原がボレーシュートを決めた。サッカーの試合で、たまに起こる奇跡のようなゴール。これがたまらなくて観戦しているような気もしてきた。アナウンサーの声がうわずって、「絶体絶命」のゴールと言った。望みは次の試合まで繋がった。

2013年4月24日水曜日

患者心得10

医師は、「ようこそいらっしゃいませ」、とは言いませんが、「おはようございます」、も「こんにちは」も言わないものです(開業医を除く)。

2013年4月22日月曜日

大丈夫か磐田

サッカーチームの勝敗の心配より、我が身の心配だろうけど、第7節を終えても、ジュビロ磐田に未だ勝利がない。ついに、J1最下位になってしまった。
ガンバの二の舞にならなければいいけれど。
写真は、破れ饅頭。
名前は破れとあるけれど、天照大神が天岩戸に隠れたとき、アメノウズメノミコトがおがたまの小枝を持って舞ったという神話にちなんで、1605年に延岡藩の菓子屋がおがたまの果実をかたどって売り出したのが始まりだそうだ。縁起の良いものなので食べつつ、磐田の勝利を祈っている。
光線過敏でまともに暮らせない身としては、太陽神でもある天照大神に岩戸に籠もっていて欲しかったとも思う。
この破れ饅頭、亡き母の好物だったので、供えていたが謂われを知ると複雑な思いがしてきた。

2013年4月20日土曜日

医者の品格2

4年前に、「治りゃしねえ」切って捨てるように、ある有名医師から言われた。
心が折れた。
それまで、こういう言葉を医師から言われたことはなかったのだ。
8年前、最初にネフローゼを発病した時の主治医であった女医は、「今後も繰り返す可能性はあります。」という言葉だった。それは事実で、翌年も同じ季節にネフローゼを再発させた。ネフローゼも難病で治ることはない病気だ。しかし、「治りゃしない」とは言われなかったし、免疫の病気なので、喘息をうまくコントロールすることで、ネフローゼを治めることができるかもしれないとも言われた。
 その後、次々にいろいろな症状が出てきて、6年前に股関節が、壊死の疑いとともに重い炎症を起こし、痛みで眠ることもできなくなった。勿論歩行もできない。その際の、整形外科の教授は、当時テレビによく登場することが多かった有名医師だったけれど、『この先、普通に歩くことはできない』という決定的な事を極めて遠回しに言われた。こちらの気持ちを推し量っての言葉で、でもショックでその時の教授のセリフは全く覚えていない。記憶にあるのは、どうやって通院しているかと聞かれて「タクシー」と答えたら、「良かった」と言われ、続けて直ちに杖を買うようにと言われたことだけだ。呆然として診察室を出て、借用した松葉杖をついてタクシーに乗り、自宅近くのランチタイムのサラリーマンで賑わうマクド○○○で、人目をはばからず涙を流してしまった。その整形外科の教授の診断を、腎臓科の当時の主治医に伝えると、「ステロイドを飲み続けていると、将来的に歩けなくなるという、将来の事ではないのか」と言われた。私はそれを受けて、動揺して、わざわざ「もう普通に歩くことはできない」宣告を二回聞く羽目になってしまった。改めて、予約外に受診して「もう今後、普通に歩くことはできないと言うことですよね」と確認すると、多くの患者を抱える教授は今度はやや面倒くさそうに「ああ」と。隣に居た助手を務める中堅の医師が、私より先に、目を赤くしたのを今でも忘れることができない。何人もの患者のこういう事態を目の当たりにしている医師でさえ、死刑宣告のような「もう歩くことはできない」という言葉を重く感じているのだと思った。
 その後、今度は光線過敏の重い症状が始まった、一番自宅に近いT病院の皮膚科女医は、最初「今の医学では・・・」と言葉を濁した。そしてT病院の詳細な血液検査で今の病気が明らかになった。それより以前に、遠回しに言われた整形外科の教授にその病気は示唆されていたので、ある程度は覚悟はしていたけれど、違っていて欲しいと思い続けていた。T病院の女医は、その厄介な病気の病名を伝えるのも躊躇していて、私から病名を言い、女医は頷いたのだった。患者の気持ちを推し量ってくれる医師は、確かにいる。しかし、一方で、医師である前に人間として、どうなのかという医者も実在するのだ。

2013年4月16日火曜日

証城寺のたぬき

クソーと百万回言ったか?
厄介な難病を嘆いて。
時々、開き直って歌うこともある。最近は証城寺のたぬきだ。
正確な題名は、証城寺の狸囃子だ。野口雨情の作詞で、作曲は、中山晋平だ。
証 証 証城寺 証城寺の庭は
ツ ツ 月夜だみんな出て 
来い来い来い おい等の友達ァ ぽんぽこ ぽんの ぽん
負けるな 負けるな 和尚さんに 負けるな
来い 来い 来い 来い 来い 来い みんな出て 来い来い来い
証 証 証城寺 証城寺の萩は ツ ツ 月夜に 花盛り
おい等は浮かれて ぽんぽこ ぽんの ぽん
 
夜に出て集う狸と、夜しか外出できない我がかぶるのか、 2月からは、この歌をよく歌っている。

2013年4月14日日曜日

死ぬなら、絶品ニョッキを喉に詰まらせて

死ぬなら、この店のニョッキを喉に詰まらせて死にたいと思っている。
歩くことができるようになってから、再び通うことができるようになったイタリアンの店は、自宅から徒歩5分ぐらいの所にある。以前は、リーゾナブルなランチに通ったけれど、今や夜しか行けない。この店のパスタも美味だけれど、ニョッキは絶品だ。舌をかみそうな長ったらしい名前の難病だと改めてわかった時、この病気で死ぬのはイヤだと思った。少なくとも喘息発作で死ぬ方がましだと。その後、こ
のニョッキを食べてから、このニョッキだ
と思った。この絶品ニョッキで死にたい。これを喉に詰まらせて死ぬことができれば、本望だと。「あんこさん、ニョッキ喉に詰まれせて死んじゃったらしいわ」と言われれば、最期に笑いもとれるのだ。昨晩も今晩も、思い出したように行って、ニョッキを食べた。この2日とも美味なクリームソースがニョッキを包み、つるりと喉を過ぎたニョッキ。
店内の置物、イイダコがつるしてあるのかと思ったらオーナーシェフ夫人作のビーズのミッキーだった。
夫人はイイダコに憤慨していたけれど、今夜は、紅茶を頼んだら、雲南の珍しい紅茶を入れてくれた。 ウーロン茶のようなほうじ茶のような紅茶だった。
幸か不幸か夜の値段は高くて、自殺行為を年中試すことはできない。






2013年4月10日水曜日

医師にばったり

PM2.5対策のマスクをスーパーマーケットで、良人に買って来てもらい、自宅前のカレー屋にて夕食をとった。
後から来た客の声に聞き覚えがあって、ひょっと見たら、まさかの主治医?店内は小さなハロゲン
ライトが天井のところどころにるだけで暗く、主治医かどうか定かではない、光線過敏の症状が重い私に絶好の食事処なのだけれど。ナンをちぎっていると、学会の話が聞こえてきて、確信した。声をかけるべきか否か。くつろぎの時に、患者が挨拶というのも、悪いような気がした。
散々迷ったけれど、食事が済んで帰り際に声をかけて、名乗ると「わかります」と医師曰く。前任医師から替わって
1年も経たない、受診回数は3回か4回程度だ。受診は昼間なので、紫外線完全防備体制で、爺なのか婆なのかもわからない風体だ。顔は、つば広の帽子、サングラスで隠れ、身体は特殊な上着を来ている(私の通院)。夜は、普通の洋服、帽子はかかせないけれど普通の帽子だ。しかし、若き医師は、わかっていたようで、後輩の女性医師?を伴い饒舌だった。そこで、続けて抜けてしまっている、血液検査の「鉄」を改めてお願いした。
 若き医師は凡ミスがあるけれど、態度が謙虚なのが、患者にとってはすこぶる有り難い。医師は、一体いつから、横柄で威張るようになるのだろうか?臨床12年目ぐらいが境かと考える。そして医師もカレーを食べることがわかった。
帰途、街路には白山吹、カロライナジャスミン、まだ八重桜も咲き誇っていた。強力マスクを着けていたため、カロライナジャスミンの香りは全くわからなかった。

2013年4月9日火曜日

PM2.5の影響か?

光線過敏症のおかげで夜だけしかできない外出。
しかし、この1ヶ月、外出すると必ず喘息発作が起こってしまう。
元々3月から4月は喘息が起こりやすい季節ではあるけれど、あまりにも頻回だ。
PM2.5のせいではないかと思ってきている。
昨夜もこぼれるマーガレットに浮き立ち、八重桜に心をとられて、1時間近くほっつき歩いた。帰宅して、世間の人が活動を始める朝に床につくも、喘息で苦しくて眠れない。
PM2.5対策のマスクはネットで注文してあるものの、かれこれ1ヶ月届かない。
いつもウイルス対策用のマスクは着用して外出している。PM2.5のせいだとしたら、ウイルス対策マスクでは全く役に立たないという事だ。
光は駄目、空気も駄目、食物も駄目駄目だらけ、どうすりゃいいんだ!
夜の外出ぐらい許してくれよ〜と床を叩いてみたり、吠えてみたり。
とりあえず、毎日の外出は控えるしかないか。

八重桜、満開


ぼってり八重桜、
妖艶だ。
2日外出しなかった我は、
でっぷり。
濃紺の夜空をピンクが埋め尽くして、見つめていると、まるで万華鏡の中にいるようで、ぐるぐると目が回ってくる。

2013年4月7日日曜日

前田初ゴール、しかし初勝利ならず

日本列島を爆弾低気圧が通過する中、行われたJリーグの試合。昨夜、大雨の埼玉スタジアムでの浦和対磐田戦で、ついに前田が初ゴールを決めた!
前田に初ゴールを決められたチームは必ず降格するという『都市伝説』のおかげでこれまで、前田へのマークが厳しく、第4節まで前田のゴールがなかった。名古屋の監督ピクシーまで、前田にゴールを決めさせなかったと、会見で手で大きく丸を描くジェスチャーをするほど、皆に恐れられていた。このまま前田にゴールなく、前田の出番がなくなってしまうのではと心配していた。
 試合は、序盤、やる気満々の興梠のPK。興梠の放った玉は強く早かったが、キーパー川口が強雨の中、見事に弾いて、こぼれた玉を再び左足で防いだ。そして、前田の初シュート、磐田の初勝利を期待した。
 しかし、ホームで勝ちにこだわる浦和の流れを断ち切れず、磐田は逆転負けとなった。気が付くと磐田の順位は下から2番目だ。都市伝説で封じ込まれた前田の不発が響いたか未だ勝利のない、磐田自体が心配だ。
桜は散り、花屋には、母の日用のカーネーションのプードルが仲良く並んでいた。 

2013年4月3日水曜日

ゆるゆる組織

 
一昨日から、様々な組織が新年度をスタートさせている。異動や組織改編で慌ただしいことだろう。
そんな中、暴力問題が明らかになった全日本柔道連盟(日本柔道曲がり道)で先月15日には、助成金の不正流用の疑惑が浮上した。その数日後、テレビニュー
スを耳で聞いていたら、全柔連会長が『にゅういん』(入院)と聞こえた。度重なる不祥事に責任を感じて、身体に障ったかと思った。よくある話よ、と思っていると、
その後のニュースで、会長「留任」と解った。留任を入院と聞き間違えたのだ。役員も全員留任だそうだ。助成金は、当然ながら、国民の血税も原資となっている。事実なら、許されるのだろうか?
トップは、お丈夫で、組織を離れ堅く、組織の結束は強く、堅いのだろう。外から見れば、ゆるゆるだ。
 先月末には、実際には指導していない指導者が助成金受給の疑惑問題も浮上している。


2013年4月2日火曜日

街の花屋に薔薇はなし

窓を全部塞いで、外の様子もまったくわからず、狭い部屋に籠もっているせいか、花が無くば、居られない。いつも大抵は、自宅前のスーパーで買うカサブランカもどきの大きな百合だけど、時々、薔薇がどうしようもなく恋しくなる。
 百合も神々しくて、優しいけれど、薔薇はなんと言っても華麗だ。幾重にも重なった花びらがぐるぐると心をかき乱して、私はくらくらだ。
 特に、花びらが剣のように尖って丸まっている剣先花びらのが、『ツン』と気高い感じでたまらない。右から見ても、左から見ても、上から見ても、横から見ても、はたまた下から見ても、美しい。エロ写真家のごとくなめるようにして、シャッターを押しまくる。3月8日に買った、薔薇がなんとか今も咲いていてくれている。
 しかし、3月の後半から街の花屋に薔薇がない。3月は送別会シーズンで薔薇の需要が旺盛、4月は昨日から新年度、歓迎会シーズンで同様とあって、値がつり上がり、仕入れできないと言うのだ。
 治らないと言われる病気のおかげさまをもって、1年中、365日、心は悩ましく、そこに無理難題が
ふりかかってくると、真っ暗になる。そんな時、薔薇があって、薔薇と目が合うとその瞬間は、全てを忘れさせてくれるのだ。もう3週間以上咲いている薔薇は、熟してきて少し青みががってきているけれど、昔の大女優が突然ドラマに出てきて、下から光りを当てて飛ばすように撮らなくてもまだまだ魅惑的だ、実物は十分に堪能できる。

2013年4月1日月曜日

断捨離、中断

節分の日に、平成13年が消費期限の挽肉(13年ミート)を捨てて、その気になった。
桃の節句の日に、平成18年2月8日が賞味期限の納豆を発見した。食べるべく解凍したら、開けてびっくり納豆が真っ黄色だった。
黄色い納豆を食べずに捨てて、やる気になった。
お彼岸の日、3月20日にアクシデントが起きて、断・捨・離の三文字は頭の中からぶっ飛んだ。