これまた正確には、となりのとなりの患者だ。山田さんは、60歳近い明るい婦人で、小さな不動産会社の女社長だった。若々しいのに、耳が遠かった。入院初日の夜、医師が病の状況を説明に来た。医師は、周囲に聞こえないようにとの配慮もあったろう、小さい声で話し始めた。山田さんは、「えっ!」「えっ!」と大きな声で聞き直す。山田さんが聞き直す度に、医師の声は1トーンずつ大きくなって、ついに3人部屋の病室じゅうに、説明がなされたようになった。「私、そんなに悪いんですかぁ〜」
聞きたくない話が否応なく耳に入ってくる。そして、山田さんの号泣する声。病室に重い空気が流れた。その夜、隣の慧子さんと私はいつもの会話もなく、2人とも無言だった。私は胸がしめつけられる思いで、ただただベッドの枠の格子を見つめていた。
立ち直りが早いと自ら言う山田さんは、翌日には、大きな声で、苺の白ワイン煮、○○ェのおはぎの美味さについて語った。私の声は、山田さんには届かないので、真ん中のベッドの慧子さんがいつも通訳をした。
ある日、通訳の慧子さんが、入浴に行ってしまった時だった。山田さんが「あんこさーん、教授回診は何曜日だっけ?」と聞いてきた。私はおなかに力を入れて大きな声で「カー(火曜)、キン!(金曜)」と答えた。
そして、山田さんは言った「ありがとう。ゲツ!モク!ね」と。
(登場人物の名前はすべて仮名です)
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