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2012年4月8日日曜日

夜桜4年

ああ、明るい空にゆれる桜が見たい。

2012年4月7日土曜日

心、ここにあらず

先月末の受診。医師は淡々と検査結果を説明し、どこか気ぜわしい感じだった。
病気の事を尋ねても、通り一遍の返答でおしまい。これまでとは明らかに違う対応だ。
 そして、ついて出た言葉は、「4月で異動になりますので」だった。前任の医師が異動して、替わってわずか1年なのに、またしても。
そう、医師も組織の人。

2012年3月29日木曜日

お揃いナース

朝7時50分、病院建物の外、入り口にナース達がずらりと並んで立っている。総勢20名程度だろうか、圧巻だ。
まだ寒い中、ご苦労なことだとは思う。皆様、声をそろえて「おはようございます」と叫んでいる。演劇部の発声練習のようだ。
前回の受診の時は、別の建物から入ったので、でくわさなかった。
しかし、昨年の11月だっただろうか、同じ建物から入った時は、やはり皆様お揃いだった。時節柄、私は、共同募金への協力の呼びかけだろうと思っていた。
タクシーで乗り付けて、料金を支払いながら、あたふたと降りる支度をする。紫外線を防御するための、手作りお面をたたみ、腰から下を覆う大きな遮光布をはずして丸めて袋に投げ入れる。たたんでいる間などない。降りる時、高い段差があって、杖をつくのが難儀だ。当然のようによろめく。
荷物の一つでもどなたかが、持ってくだされば、車からラクに降りることができる。20名に及ぶナース達との距離はわずか2メートル程度だ。
つばの長い帽子を被っているし、一秒でも早く、紫外線から逃れるべく建物に入りたいので、拝顔ままならない。従って、各病棟の師長なのか、ひよこ看護師なのか、普通の看護師が各病棟から1名づつ毎日交替で出てきているのか、わからない。
朝のナース達の患者お出迎え?、ご挨拶は有り難いような、そうでないような、意味があるような、ないような。

2012年3月15日木曜日

私の通院

通院は格闘だ。格闘と言っても、もっぱらやられっぱなしだ。敵は勿論、紫外線。私は、全く反撃できず、プロテクトアンドプロテクトアンド、プロテクトだ。自宅から病院に続く道は、歌のせりふのように一本道で、南下、朝ひたすら東の左から攻撃をくらう。タクシーで十数分だが、1時間に感じる。不幸な事に、道の両側に障害物がない。帰途は、背中から強くなった敵のパンチを受けつづける。
光線過敏が始まった当初、プロテクトの方法もわからず、SPF30程度のクリームで、それはもうほとんどプロテクトにはならず、その頃の跡が消えることなく、九州や鹿児島の島々のような形のシミとなって残り、女心を奈落の底につき落とす。ちなみにSPF50でも安物は、全く頼りになりません。
プロテクトの方法は、もっぱらネットから得た情報と自己開発だ。友人にも多大に協力してもらっている。顔に着装するマスクをネットでとり寄せたが、着脱に難ありで、顔に塗った日焼け止めが着脱の度に落ちる。育児に多忙を極める友人が改良してくれたけれど、根本的に息苦しい。筒型をしたそのマスクは、ニットの生地で目の下(サングラスの下)あたりで、ヒモを締め、目の下から首までをガードするものだ。しかし、ヒモもきゅっーと絞めるため、ヒモが日焼け止めクリームを取り去ってしまう。息苦しいので、紫外線の入らないところでは、どうしてもマスクをはずしたくなってしまうのだ。
そして考案したのが、手で持つプロテクト板だ。解体した牛乳の紙パック2つを顔を覆う大きさに張り合わせ、完全遮光布を貼り付けたものだ。両手でその板を持つので手が塞がるという欠点はあるが、少なくとも、車中はどうにかこうにかプロテクトできる。
上着は、これまたネットで主に完全遮光の傘を販売しているところで、傘と同布でできているパーカーを取り寄せて着用。しかし、丈が短い。腰から下は、完全遮光傘のショップが紹介している、これまた完全遮光のカーテンの店(京都)でお願いして、完全遮光布で130㎝四方の風呂敷のようなものを作ってもらい、腰から下を覆っている。帽子は、パーカーの店で、12㎝のつばの完全遮光の帽子を被る。これは、虚無僧の被る天蓋のようになるので、辺りがあまり見えず、歩く際、人や物にぶつかるので要注意だ。ちなみに、完全遮光の布は全く通気性がないので、真冬も半袖のTシャツの上に着る。サウナスーツを着ていると言ったものやら、ビニールハウスを背負って歩いている感じとでも言おうか、両者ともに経験がないから、適切ではないかもしれないが、大量の汗が噴き出てくるのだ。まじめに、今夏は下に水着を着ようかとも思っている。
先日、ネットで同病の人が、やっとの思いで、大学病院に行ったら、「頭にはヘルメットを被るとか・・・」と医師から言われ、それ以外にためになる指導はなく、紫外線に当たって通院したため、その後具合が悪くなって(大抵は、免疫疾患だから、紫外線で疾患自体が悪化する)散々だったとあった。ヘルメットに思わず苦笑してしまった。しかし、どこの医師もその程度だ。そもそも光線過敏の専門の医師は、ほとんどいないわけだから。
よって、通院日の前の週から、ブルーになる。先週末も、通院だったが、紫外線が強くなったせいか、通院後、未だにかったるくて仕方がない。

2012年3月7日水曜日

昨夜


 恵比寿ガーデンプレイスで食事をした。恵比寿駅から歩く歩道、スカイウオークで5分ほど。杖の私は、下調べをして、動く歩道にやった!と思っていた。5年ぶりに歩けるようになり、いろいろな所に行きたくてたまらないけれど、まだまだ慣れない。杖をついて、スカイウオークの端に乗り、じーっと立って、通路の窓際に置かれた、盛りを過ぎた赤や白のシクラメンが流れていくのを見ていると、歩く歩道を歩く人々が次々とぶつかってくる。邪魔なんだよ、と言わんばかりに。一層スカイウオークを降りて、通路をマイペースで歩こうかと思った。娑婆は、こんな感じだったかぁ、と7年ぶりに、しみじみ世間の風を感じた。
 お店は、39階でぐるりと窓だ。日頃、窓を塞いで籠もって暮らす、私に配慮して、友人が夜景を見渡せるイタリア料理の店を予約してくれたのだ。友人と言っても、それは私だけの思いであって、彼女は知人と私を突き放す。ともあれ、店内は、かなり暗く、高い天井にハロゲン?ライトの小さいのが、ところどころついているだけで、重い光線過敏の私には、絶好の環境だった。夜景を引き立たせるように店内を暗くしているのだろうけれど。私としては、もうこれだけで十分。帽子を取れるし、サングラスもはずせるから、解放された感じだ。テーブルには、小さなろうそくがともされた。店内環境とロケーションに大満足すると同時に、心の中で、こういう店は味が、いまひとつだったりするんだよなと思っていた。
 しかし、料理もとても美味しかった。スマートでさりげない味でこれまた満足。イタリアンにありがちな、こてこてではなく、料理上手な素人が作ったような、よく言えば家庭的な味とでも言えばいいのか、と言うのでもなく、ちゃんとプロの味だったのだ。スタッフのサービスもさりげなくて良かった。
 サッカー、アジアチャンピョンズリーグでガンバがホームで大敗した事だけが、ただただ惜しまれる昨夜だった。
そして、今夜は、グランパスが勝ったな、と思っていたら、たった今、延長時間に同点に追いつかれ、悔しい同点となってしまった。これまたホーム戦だ。

2012年3月5日月曜日

卒業

「卒業」という言葉が年中使われて、言い古された感じがする。辞めましたと言えばいいんじゃないか?と思うところを、「卒業しました」と言う。
 それじゃ、私も言わせてもらおうか。「病気を卒業したいです」
 秋入学が、当たり前になると、3月に「卒業」という言葉を想う事もなくなるのかもしれない。

2012年2月28日火曜日

おもしろ話9(となりの患者)

その患者は、夜中に6人部屋に入院してきた。救急から運び込まれたのだろう。ひどい咳が、離れた私の病室まで聞こえてきた。医師が、その患者の意識を確かめるように、大きな声で名前を何度も呼んでいた。「紅(くれない)さん、わかりますか?」「紅さーん」。だか、咳だけが響く。
 紅さんの、 怒号のような咳はその後も続く。風邪が疾患を悪化させるので、病棟の患者はみな、人一倍風邪に注意を払っていた。私はその病室の前を通る度、自分のマスク を確認して、胸をなで下ろすのだった。しかし、紅さんの咳はあっという間に手術を待つとなりの患者にうつり、担当看護師にもうつってしまった。「アイツが 咳をしながらトイレに入って来て、まいった!」「迷惑だよね」と紅さんの咳はみんなの困りものだった。
 私が、紅さんを初めて見たのはやはりトイレで、看護師が押す車椅子の中でぐったりとして、一言もなく目もうつろだった。おそらく、風邪から、腎臓病を悪化させたのだろう。もともと歩けないのではなく、歩けないほどに容態が悪いという感じだった。
 それから数週間たったある朝、紅さんの いる6人部屋から大声が聞こえてきた。「おい!誰か外を見せに連れてってくれよー。3週間も空を見てないんだ!おーい!」叫びは繰り返された。病棟の朝は 戦場のように忙しい。夜勤の看護師が2人で病棟の患者の採血に回って、それが終わらないうちに、カートで入院患者の朝食が運ばれてきてしまう。夜勤の看護師と看護補助者が、大わらわで朝食を1人ひとりの患者の元に運ぶ。

 外に連れて 行けという叫び声は、そんな中だった。私は、こんな時に「空が見たいと言わなくてもなぁ、誰だろう」と呆れながら食事を済ませた。そして歯磨きに向かう途中に、今度はデイルームから「おーい!誰か、部屋に連れて行ってくれ!おい!誰かよー連れて帰れよ!」その声は、空を見せに連れて行けと怒鳴っていた同じ女性の声だ。ちらと、覗くと声の主はあの紅さんだ。車椅子に乗った紅さんが怒鳴りちらしているのだ。余りに煩いので、朝の忙しい中看護師か看護補助者が、空が見えるデイルームに連れて行ったのだろう。連れては行ったが、忙しい仕事に戻る為紅さんを置いていったに違いない。私は、そっと歯磨きに向かった。デイルームからは、紅さんの「誰か、連れて帰れよー、畜生!」という叫び声が続いていた。

(登場人物の名前は仮名です。話がわかりにくいというご指摘をいただきましたので書き直しました。)

2012年2月23日木曜日

となりの患者6

となりの患者が入院してきてまだ間もない時だった。下痢が続いているようで、いつも慌ててトイレに駆け込んでいるふうだった。病室にはトイレがない。古いふるい病棟は、おそらく昭和40年代の建物だろう。廊下を10メートルほど歩き、コーナーを曲がってさらに6メートル歩いてやっとトイレ入り口だ。
 ある日、となりからぷーんとうんこの臭いがしてきた。間に合わなかったのだろう。となりの患者は、急いでトイレに行ったようだった。私もくさい臭いに耐えかねて、部屋を出て廊下に出た。夜中で、各病室の電灯は消され、廊下の灯りも控えてあった。うす暗い中、となりの患者と思われる婦人が戻ってきた。とても不自然な歩き方だった。暗いし、となりの患者の顔がまだよくわからなかったので、となりの人かしら?と、つい、すれ違ってから、振り返ってしまった。すると、お尻まる出しの、すっぽんぽんなのだ。驚いたのなんの。ぎょっとした私は、まさに心臓が止まりそうだった。パジャマの上着は着ている。しかし、ズボンをはいていないのだ。パジャマのズボンを手に持ち、ズボンの足を垂らして、病室側の方の脚に当てて歩いている。ちなみに廊下に面した各病室の扉は全開だ。暗いので、病室から見たら、ズボンをはいているように見える?かもしれない。私が振り返るまで、それと気づかなかったのは、私とすれ違う時は脚の前側(正面)にパジャマのズボンを当てていたのか?
 後のち、となりの患者と私は仲良くなった。70歳半ばのとてもいい人だった。この病院には20年以上通い、しょっちゅう入退院を繰り返しているという話だった。夜中に、トイレに看護師を呼んで、病室に下着を取りに行ってもらうのは悪いと思ったのだろう。勝手知ったる我が家のような病棟、すっぽんぽんでベッドに帰った方がてっとり早いと、入院キャリアもそうさせたのかもしれない。
 となりの患者は、合計6つの病室をつなぐ廊下をすっぽんぽんで歩いたのだ。

2012年2月19日日曜日

白衣の天使は、いる

白衣の天使はいます。
3人部屋で、連日の絶え間ない猛獣のようないびきに、私は心身ともにまいっていた。いびきの犯人は数々おれど、天使が舞い降りたのは、以前、となりの患者3に書いた老婆の時だった。80歳を少し過ぎた感じと書いたけれど、正確には86歳だった。その歳で、体格が良いわけでもなく、よくぞそんな爆音を出せるものか苦々しいこと限りなし。若い人なら、私はとっくに枕を投げつけていたに違いない。
 トイレで、2部屋も離れた病室の婦人に「アナタぁ〜、お気の毒ね」と言われた。は?とした私の顔を見て「私のところまで聞こえるんですよ。すごいイビキが」と言われた。私は、眠れない日々が辛く、思わず涙がでそうになった。「本当にまいってます。一晩中ですから。毎晩」と言った声は震えてしまった。
ある晩もいびきの老婆と私は二人きりだった。猛獣いびきに眠れず、右を向いたり左を向いたりしていた。
すると1時ごろ、「あんこさん、今日2人部屋で一つベッドが空いているの。そこで寝て」優しい小さな声は、看護師の金田さんだった。金田さんの声は、大きないびきにかき消されそうで、絶望していた私は、言われた事が信じられなかった。夢かうつつか?しばらくぼーっとしていた。「二人部屋?」「でも、もう1人の人は静かなの?」金田さんは、「おばあさんでとても静かなのよ」と。
私は、こくんと頭を下げて導かれるまま、その部屋に入った。金田さんに、手を引かれてはいなかったと思うけれど、天使が手を引いて導いてくれた感じがした。病室にたどり着いた私は、正気に戻り、真っ暗な病室でとなりの患者をこっそり覗いた。となりの患者が本当にいびきをかかないか心配になったのだ。ベッドをぐるりと医療機器がとり囲み、ボタン信号がいくつも点滅していて、患者の様子は見えなかったけれど、寝息すら感じられなかった。私は、その晩だけぐっすり眠ることができた。白衣の天使は、おそらく毎晩の猛獣いびきを知っていたのだろう。(登場人物の名前は仮名です)

2012年2月8日水曜日

患者心得7

クリニック(診療所)の看護師は、腐っているか患者サービスに徹底しているかどちらかです。前者は、駅前など好立地のそこそこ繁盛のクリニックにありがちです。そして、経営者である院長が比較的若い場合が多いです。院長のマネージメントがうまく行かず、操縦不能状態なのでしょう。患者を診察室に呼び入れるのに、患者の名前を怒鳴る。診察の際は、壁によりかかりふてくされたように休めの姿勢だったり・・・腐った魚は、再び活き活きしてはきません。クリニックの体質は、患者が減少して初めて変わるものです。