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2012年3月15日木曜日

私の通院

通院は格闘だ。格闘と言っても、もっぱらやられっぱなしだ。敵は勿論、紫外線。私は、全く反撃できず、プロテクトアンドプロテクトアンド、プロテクトだ。自宅から病院に続く道は、歌のせりふのように一本道で、南下、朝ひたすら東の左から攻撃をくらう。タクシーで十数分だが、1時間に感じる。不幸な事に、道の両側に障害物がない。帰途は、背中から強くなった敵のパンチを受けつづける。
光線過敏が始まった当初、プロテクトの方法もわからず、SPF30程度のクリームで、それはもうほとんどプロテクトにはならず、その頃の跡が消えることなく、九州や鹿児島の島々のような形のシミとなって残り、女心を奈落の底につき落とす。ちなみにSPF50でも安物は、全く頼りになりません。
プロテクトの方法は、もっぱらネットから得た情報と自己開発だ。友人にも多大に協力してもらっている。顔に着装するマスクをネットでとり寄せたが、着脱に難ありで、顔に塗った日焼け止めが着脱の度に落ちる。育児に多忙を極める友人が改良してくれたけれど、根本的に息苦しい。筒型をしたそのマスクは、ニットの生地で目の下(サングラスの下)あたりで、ヒモを締め、目の下から首までをガードするものだ。しかし、ヒモもきゅっーと絞めるため、ヒモが日焼け止めクリームを取り去ってしまう。息苦しいので、紫外線の入らないところでは、どうしてもマスクをはずしたくなってしまうのだ。
そして考案したのが、手で持つプロテクト板だ。解体した牛乳の紙パック2つを顔を覆う大きさに張り合わせ、完全遮光布を貼り付けたものだ。両手でその板を持つので手が塞がるという欠点はあるが、少なくとも、車中はどうにかこうにかプロテクトできる。
上着は、これまたネットで主に完全遮光の傘を販売しているところで、傘と同布でできているパーカーを取り寄せて着用。しかし、丈が短い。腰から下は、完全遮光傘のショップが紹介している、これまた完全遮光のカーテンの店(京都)でお願いして、完全遮光布で130㎝四方の風呂敷のようなものを作ってもらい、腰から下を覆っている。帽子は、パーカーの店で、12㎝のつばの完全遮光の帽子を被る。これは、虚無僧の被る天蓋のようになるので、辺りがあまり見えず、歩く際、人や物にぶつかるので要注意だ。ちなみに、完全遮光の布は全く通気性がないので、真冬も半袖のTシャツの上に着る。サウナスーツを着ていると言ったものやら、ビニールハウスを背負って歩いている感じとでも言おうか、両者ともに経験がないから、適切ではないかもしれないが、大量の汗が噴き出てくるのだ。まじめに、今夏は下に水着を着ようかとも思っている。
先日、ネットで同病の人が、やっとの思いで、大学病院に行ったら、「頭にはヘルメットを被るとか・・・」と医師から言われ、それ以外にためになる指導はなく、紫外線に当たって通院したため、その後具合が悪くなって(大抵は、免疫疾患だから、紫外線で疾患自体が悪化する)散々だったとあった。ヘルメットに思わず苦笑してしまった。しかし、どこの医師もその程度だ。そもそも光線過敏の専門の医師は、ほとんどいないわけだから。
よって、通院日の前の週から、ブルーになる。先週末も、通院だったが、紫外線が強くなったせいか、通院後、未だにかったるくて仕方がない。

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