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2008年1月31日木曜日

さくら

病院の待合いで閑古鳥が鳴いている日がある。並んだ椅子にすわって待つ患者が誰もいない光景は、閑散として寂しいというか、幽霊が座っていそうな不気味な感じもする。本来、病院でお客(患者)がいないことは望ましいことだけれど。一方で患者が待合室からあふれかえっている医師の日もある。
 内科だの消化器科だのメジャーな科で閑古鳥は、民間の医療法人立等の病院なら、いや今や公立病院でも経営を揺るがす許されざる事で、首になってしまったりするだろう。
 私だったら、親兄弟、親戚一統、友人知人にかたっぱしから電話して言うだろう、受診までしてもらうかはともかくも、「頼む!病院の椅子に座わってくれないか」と。

2008年1月25日金曜日

おもしろ話6(となりの患者)

なんで入院しているかわからない、となりの患者「おもしろ話5(ドクターカバごんととなりの患者)」が栄養指導から帰ってきた。間もなくベテランの担当看護師がやってきて「栄養指導どうでしたか?難しかったでしょう」と尋ねた。となりの患者は「ハイ」と。ここまでは栄養指導後の台本どおりの典型的な看護師と患者の会話だった。看護師は続けて、おきまりの「どのへんが難しかったぁ?」と聞いた。
 すると、「たんぱく質と炭水化物がわからなくなっちゃって、こんがらかっちゃって」と明るく答えているとなりの患者。
 私は『こりゃ重傷だぁ』と思った。小学校は出てるのか?なんでたんぱく質とたんすいかぶつが、こんがらかるんだぁ?単にひらがなだと同じ「た」で始まるだけだ。栄養素の勉強というヤツは、小学校で中学校でそして高校でとイヤっというぐらいやらされた。同じようなことを3回も。
 となりの患者が元ヤンキーで、学校へはあまり行かなかったという感じなら納得できる。しかし、となりの患者は、服装はどちらかと言えば地味で、眼鏡をかけ、でも性格はすこぶる明るくて、ママ友達とスーパーでカートを押してそうな極フツーの主婦という感じなのである。
 看護師は少しの間「・・・・」だったが「難しく考えないで、家でも病院と同じような食事にすればいいんですよ」と、これまたおきまりの言葉を言うと、さっさと行ってしまった。となりの患者が、栄養指導のメインテーマであるたんぱく制限やそれでもカロリーを摂るにはどうするかということなどは理解できたはずもない。どこが悪くて入院になったかは、わかっただろうか。最もカバごんによれば良くなっているのだから、特に神経質になる必要もないのだ。炭水化物がなんであろうと、結婚して、どんなふうかはわからないけれど、子供も育てている。
 私も病気さえ治れば、生きていけるのではないかと、なんだか妙な自信が湧いてきたのだった。
 

2008年1月19日土曜日

ドクターに喝はよしておこう

井上君、また「忘れちゃった」なのかい?忘れちゃったは、これで2回目。今回は専門外の検査方法のことだから仕方ないけれど。前回は、専門の分野で、「教科書に書いてあったけど忘れちゃった」だったね。
『忘れちゃった』はなかなか言えない言葉。私だったら、取り繕って、たとえデタラメでも最もらしく理屈を言ったりするだろう。
 以前教授に、2つの薬のうち1つの選択を迫られた。日頃も優柔不断な私は決めかねて、「効果が同じでも、臓器へのその働きかけに違いはあるのか?」と聞いた。答えはイエス。説明までに少し間があって、極めて早口で、熱くその相違について語ってくれた。後でその説明は違っていたことがわかった。さすがにデタラメではなかったが、その2つの薬の本来的な効果である血圧を降下させるためのメカニズムの説明であって、臓器への働きかけはそれとは違っていたのである。
 井上君が、組織に流されているようで流されていない一面を見たこともあった。それは、私が、教授が服用せよといった薬の量を守らなかった時のこと。私は、教授回診で教授にこっぴどく怒られた。研修医もまた怒られたが、それは研修医の指導医である井上君が怒られたも同じこと。しかし、その後も井上君は薬の量を強制しなかった。そして、一言「許してしまう私が本当にあんこさんのためになるのかと・・・」なんと正直な人間なんだろうと思った。
 決して見栄をはらない、おおらかに構えている井上君にはいつも勉強させられる。だから、喝と言いたいところだけど・・・今回はよしておこう(記載された名前は仮名です)

2008年1月9日水曜日

とんだボランティア

 病院の入口を入ると、数メートルのところに再診機が6台設置されている。再診の時は、カードをその再診機に差し込み、受診票を受け取らなければならない。入口と再診機の間の脇には、いつもボランティアが2人立っている。
 杖の私は片手で、バッグからカードを取り出し、再診機に差し込まなければならない。いつも難儀だ。せめてカードを再診機に差し込むだけでもボランティアがやってくれたらなぁと、恨めしそうに2人のボランティアを見ても、2人は全く気が付かない。黄色いエプロンを付けた2人は、決まっていつもぺちゃくちゃとおしゃべりをしている。2人は、40代後半から50代前半といった歳格好のいわゆるおばちゃんだ。時には盛り上がって、身体が左右に揺れて、笑って、はしゃいでいる。観客のウケを全く気にしない、開き直った漫才コンビのようだ。そばにいる総合案内の師長も加わってトリオになったりもする。
 別棟の入口にも再診機があって、そこに近い診療科の時は、そちらを利用する。そちらの棟では、再診機を曲がって少し行ったところの観葉植物の陰にボランティアが1人立っている。
患者が利用するエレベーターの正面だが、エレベーターからも離れている。だいたい普通に歩いていたら患者からは全く見えない、いわば死角といって良い場所がそのボランティアの立ち位置だ。若い青年で、これまたいつも昔の漫才師のようにモミ手で立っている。
 しかし、ある雨の日、別棟の入口を入ったところで、中年の女性が走りよってきた。その女性は私の傘をたたみ、ビニールに入れると、バッグの脇に差し込んでくれた。私は初めて受けたサービスに、仰天し、頭が真っ白になってしまった。エプロンを付けていたのでボランティアだっだのだと思う。たぶん。
 何年も通う病院でそんなサービスを受けたのはそれっきりだ。立っているだけのボランティアなら、カーネルサンダースのお爺さんやウルトラセブンの像を死角じゃないところに置いてくれたら、心が癒されたり楽しかったりするのになぁといつも思う。

2008年1月1日火曜日

ハッピーじゃないNew Year

 今年はついに誰にも年賀状を出さなかった。小学生の1年生の時から毎年書いていたから、それは私にとっては結構大きなこと。今年は、という気持ちがすっかり失せてしまった。逆に言えば、昨年までは、多少は希望を持っていたんだなぁと思う。毎年一つづつ病気が増えていく。病気のメリーゴーランドやぁ!病気の宝石箱やぁ!と自分で言ってしまうことがある。
 たかが年賀状、されど年賀状である。年賀状のやりとりで、長く会っていない友達ともいまだ友達であることが確認できた気持ちになる。年賀状1枚が仕事の潤滑油になったりもする。
 一昨年末に既に股関節が痛み始めていたが、昨年はぼちぼち仕事もできるようになるかもしれないと淡い期待をもっていた。しかし、また丸一年期待は裏切られてしまった。
 そして昨年も、また押し迫ってから口内が乾いてたまらない。昼間はひたすらガムをかんでいる。就眠時がつらい。口内は真っ赤で痛む。12月に入って2回目だ。年末、年始の救命センターは行かずとも想像がつく。インフルエンザで咳き込む人が溢れかえり、中にはノロウイルスの人もいるだろうなぁ。普通に病院が始業するまで我慢した方がたぶん得策だろう。
 年末に、暖かい日があったら私のウチのそばで、ランチでもとマダムKとメールでやりとりしていたが、それどころではなかった。マダムKとのこんなささやかな約束も、もう3年果たせていない。マダムKには病気のことは詳しく話していない。マダムKに限らず、周囲の人間に病気のことはあまり話したくないし、語れるほど体調の良い日は通院の日に充てるしかない。3年前にマダムKと約束をしていたランチをどたキャンしたことがあった。当日具合が悪くてどうにもならなかった、無理をすれば再発するので断るしかなかった。
 マダムKからお叱りのメールをもらった。怒りが文面からひしひしと伝わってきた。私達実業家の妻はプロミスがどんなに大事か・・・・・という下りで始まっていた。私達という表現にひっかかった。マダムKが実業家の妻のグループに属しているという意識が常にあるんだなと思った。
 マダムKは私よりはるかに年長だ。私の親の世代だ。よくランチをしていたお店で、私がナンパされたのである。マダムKはいわゆるセレブだ。格好はいつもぼろぼろで、破れたセーターに泥んこのジャージ、ホームレスと見間違うほどだ。駅ビルのお寿司屋であわびを頼んだら、板前さんが「お客さん高いけど大丈夫か?」と聞くのよ。おかしくて、おかしくて「なんとかなりますよって」言ってやったわ!無理もない話だ。誰が見ても公園に寝泊まりしてるヒトにしか見えないはずで某私大のゴルフ部OGだなんて誰が想像がつくだろうか。マダムKも人が悪いというか、それを楽しんでいるである。
 しかし、私は素性を知らないうちから、かなりの金持ちに違いないと思っていた。ランチのお店でオーナーシェフ夫妻の気の使い方が違った。店の経営者が気を使う客と言えば、お金を沢山落としていく客と金貸ししかないのである。
 最初にどんな言葉をかけられたか覚えていないが、私は気がつくとマダムKの自宅に招かれたり、別荘に招かれたりしていた。マダムKの家は、高級住宅街の一等地の大きな屋敷で、家の中はマダムKの格好と同じくめちゃくちゃだった。数百万はすると言われている愛犬が暴れた後だったせいもあるが。一番驚いたのは、帯のついた札束がリビングに落ちて転がっていた。山羊に似たその名犬が山羊のように札束を食べてしまっていたらどうなるのだろう・・・私は今思い返しても心臓がぎゅっとなる。愛犬は、まだ子供でなんでも噛みたい時期だったろうから札束をいくつか食らった残りの1束が落ちていたのかもしれない。
 そんなマダムKに、来年こそランチをなんて書いて、呆れられるとイヤなので、「あの世でいつかランチしましょう!」と暮れにメールした。