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2012年3月29日木曜日

お揃いナース

朝7時50分、病院建物の外、入り口にナース達がずらりと並んで立っている。総勢20名程度だろうか、圧巻だ。
まだ寒い中、ご苦労なことだとは思う。皆様、声をそろえて「おはようございます」と叫んでいる。演劇部の発声練習のようだ。
前回の受診の時は、別の建物から入ったので、でくわさなかった。
しかし、昨年の11月だっただろうか、同じ建物から入った時は、やはり皆様お揃いだった。時節柄、私は、共同募金への協力の呼びかけだろうと思っていた。
タクシーで乗り付けて、料金を支払いながら、あたふたと降りる支度をする。紫外線を防御するための、手作りお面をたたみ、腰から下を覆う大きな遮光布をはずして丸めて袋に投げ入れる。たたんでいる間などない。降りる時、高い段差があって、杖をつくのが難儀だ。当然のようによろめく。
荷物の一つでもどなたかが、持ってくだされば、車からラクに降りることができる。20名に及ぶナース達との距離はわずか2メートル程度だ。
つばの長い帽子を被っているし、一秒でも早く、紫外線から逃れるべく建物に入りたいので、拝顔ままならない。従って、各病棟の師長なのか、ひよこ看護師なのか、普通の看護師が各病棟から1名づつ毎日交替で出てきているのか、わからない。
朝のナース達の患者お出迎え?、ご挨拶は有り難いような、そうでないような、意味があるような、ないような。

2012年3月15日木曜日

私の通院

通院は格闘だ。格闘と言っても、もっぱらやられっぱなしだ。敵は勿論、紫外線。私は、全く反撃できず、プロテクトアンドプロテクトアンド、プロテクトだ。自宅から病院に続く道は、歌のせりふのように一本道で、南下、朝ひたすら東の左から攻撃をくらう。タクシーで十数分だが、1時間に感じる。不幸な事に、道の両側に障害物がない。帰途は、背中から強くなった敵のパンチを受けつづける。
光線過敏が始まった当初、プロテクトの方法もわからず、SPF30程度のクリームで、それはもうほとんどプロテクトにはならず、その頃の跡が消えることなく、九州や鹿児島の島々のような形のシミとなって残り、女心を奈落の底につき落とす。ちなみにSPF50でも安物は、全く頼りになりません。
プロテクトの方法は、もっぱらネットから得た情報と自己開発だ。友人にも多大に協力してもらっている。顔に着装するマスクをネットでとり寄せたが、着脱に難ありで、顔に塗った日焼け止めが着脱の度に落ちる。育児に多忙を極める友人が改良してくれたけれど、根本的に息苦しい。筒型をしたそのマスクは、ニットの生地で目の下(サングラスの下)あたりで、ヒモを締め、目の下から首までをガードするものだ。しかし、ヒモもきゅっーと絞めるため、ヒモが日焼け止めクリームを取り去ってしまう。息苦しいので、紫外線の入らないところでは、どうしてもマスクをはずしたくなってしまうのだ。
そして考案したのが、手で持つプロテクト板だ。解体した牛乳の紙パック2つを顔を覆う大きさに張り合わせ、完全遮光布を貼り付けたものだ。両手でその板を持つので手が塞がるという欠点はあるが、少なくとも、車中はどうにかこうにかプロテクトできる。
上着は、これまたネットで主に完全遮光の傘を販売しているところで、傘と同布でできているパーカーを取り寄せて着用。しかし、丈が短い。腰から下は、完全遮光傘のショップが紹介している、これまた完全遮光のカーテンの店(京都)でお願いして、完全遮光布で130㎝四方の風呂敷のようなものを作ってもらい、腰から下を覆っている。帽子は、パーカーの店で、12㎝のつばの完全遮光の帽子を被る。これは、虚無僧の被る天蓋のようになるので、辺りがあまり見えず、歩く際、人や物にぶつかるので要注意だ。ちなみに、完全遮光の布は全く通気性がないので、真冬も半袖のTシャツの上に着る。サウナスーツを着ていると言ったものやら、ビニールハウスを背負って歩いている感じとでも言おうか、両者ともに経験がないから、適切ではないかもしれないが、大量の汗が噴き出てくるのだ。まじめに、今夏は下に水着を着ようかとも思っている。
先日、ネットで同病の人が、やっとの思いで、大学病院に行ったら、「頭にはヘルメットを被るとか・・・」と医師から言われ、それ以外にためになる指導はなく、紫外線に当たって通院したため、その後具合が悪くなって(大抵は、免疫疾患だから、紫外線で疾患自体が悪化する)散々だったとあった。ヘルメットに思わず苦笑してしまった。しかし、どこの医師もその程度だ。そもそも光線過敏の専門の医師は、ほとんどいないわけだから。
よって、通院日の前の週から、ブルーになる。先週末も、通院だったが、紫外線が強くなったせいか、通院後、未だにかったるくて仕方がない。

2012年3月7日水曜日

昨夜


 恵比寿ガーデンプレイスで食事をした。恵比寿駅から歩く歩道、スカイウオークで5分ほど。杖の私は、下調べをして、動く歩道にやった!と思っていた。5年ぶりに歩けるようになり、いろいろな所に行きたくてたまらないけれど、まだまだ慣れない。杖をついて、スカイウオークの端に乗り、じーっと立って、通路の窓際に置かれた、盛りを過ぎた赤や白のシクラメンが流れていくのを見ていると、歩く歩道を歩く人々が次々とぶつかってくる。邪魔なんだよ、と言わんばかりに。一層スカイウオークを降りて、通路をマイペースで歩こうかと思った。娑婆は、こんな感じだったかぁ、と7年ぶりに、しみじみ世間の風を感じた。
 お店は、39階でぐるりと窓だ。日頃、窓を塞いで籠もって暮らす、私に配慮して、友人が夜景を見渡せるイタリア料理の店を予約してくれたのだ。友人と言っても、それは私だけの思いであって、彼女は知人と私を突き放す。ともあれ、店内は、かなり暗く、高い天井にハロゲン?ライトの小さいのが、ところどころついているだけで、重い光線過敏の私には、絶好の環境だった。夜景を引き立たせるように店内を暗くしているのだろうけれど。私としては、もうこれだけで十分。帽子を取れるし、サングラスもはずせるから、解放された感じだ。テーブルには、小さなろうそくがともされた。店内環境とロケーションに大満足すると同時に、心の中で、こういう店は味が、いまひとつだったりするんだよなと思っていた。
 しかし、料理もとても美味しかった。スマートでさりげない味でこれまた満足。イタリアンにありがちな、こてこてではなく、料理上手な素人が作ったような、よく言えば家庭的な味とでも言えばいいのか、と言うのでもなく、ちゃんとプロの味だったのだ。スタッフのサービスもさりげなくて良かった。
 サッカー、アジアチャンピョンズリーグでガンバがホームで大敗した事だけが、ただただ惜しまれる昨夜だった。
そして、今夜は、グランパスが勝ったな、と思っていたら、たった今、延長時間に同点に追いつかれ、悔しい同点となってしまった。これまたホーム戦だ。

2012年3月5日月曜日

卒業

「卒業」という言葉が年中使われて、言い古された感じがする。辞めましたと言えばいいんじゃないか?と思うところを、「卒業しました」と言う。
 それじゃ、私も言わせてもらおうか。「病気を卒業したいです」
 秋入学が、当たり前になると、3月に「卒業」という言葉を想う事もなくなるのかもしれない。