ついに日の入りが1日1日と延びてきてしまった。日の入りが1分ごとに短くなっていた時は、毎日踊りたいほどわくわくしたけれど、今は「あーあ」とため息をついている。
今年も病に明け、病に暮れていくけれど、特に光線過敏が辛かった。光線過敏になって初めての6月は、一年のうちで一番紫外線が強いということを身を持って知った。遮光一級のカーテンを通り抜けて入り込む紫外線が、足の皮膚もぼろぼろにした。朝4時に日焼け止めを塗るがため、昼夜全く逆の生活となった。カーテンを完全遮光のものに替え、隙間という隙間を塞いだけれど、ほんの小さな、点のような隙間からも光が漏れ入り、やられてしまう。結局、完全遮光傘を2本広げて、傘が転がらないように押さえて眠る。実際はよく眠れない。12月の今でもそうやって暮らしている。
紫外線を完璧に防いで眠るには、遮光棺桶に入るしかないのだ。寝返りのできる大きめの棺桶。日が落ちて真っ暗になったら蓋を開けて、生きかえるという感じだ。来年は少し早いかもしれないけれど、そんな棺桶を用意するしかないだろうと真面目に考えている。
それより、遡って2月、絶望的な病名を医師に告げられ、何ヶ月か心の整理がつかなかった中で、遺影を用意しておかなければと思った。勿論そんなもの撮りに行けるわけもないが、今の写真なんかご免だ!10年、いや15年前の写真の中で気に入ったものにしようと思った。親分(「おもしろ話7となりの患者」)に遺影のことをメールに記すと、
「昔の写真は駄目よ!おばあさんが亡くなって、遺影が若い時の写真で、お焼香にきた人が間違えたと思って帰ってしまったという実話があるのよ」と。かく言う親分は、4年前にそれ用に撮影したという。昔の写真の是非はともかくも、長く患っている親分もやはり死ぬことを覚悟しているのだなぁと思った。
しかし、遺影は、実物の何倍も綺麗な写真にしたい!となると若くて元気はつらつだった頃のという事になる。一応ピックアップはした。約10年前のを。少し後ろめたいような・・・・歳を鯖読んでいるような。
そんな事を考え続けていて、好きだった女優の大原麗子さんが亡くなった。遺影は42歳の時のということだった。20年以上前の写真だ!私の遺影、白いコーヒーカップを持ち、白い帽子にお気に入りだったジョルジュレッシュの紺色のワンピースを着て笑っている。今から10年前の写真。これでいいのだ!