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2014年1月23日木曜日

崎陽軒オンパレード

 今夜の夕飯は、崎陽軒のお弁当だ。崎陽軒は今、ざっと9種類のお弁当を出しているので、そのうちの3つだからオンパレードと言うのは、気後れするのだけれど。今夜は、スタンダードなシウマイ弁当と中華弁当といういつものに加えて、横浜チャーハンを追加した。
チャーハン弁当はかつて舟形のお弁当箱だったように思うけれど、四角い箱だった。
 つい最近、東京駅の百貨店で売上第2位がシウマイ弁当と夕方のニュース番組で耳にした。聞き間違いだったのか、改めて調べると、よくわからない。
 それは、さておき、大食漢の良人は、毎日崎陽軒でいいと言うぐらい崎陽軒のお弁当が大好きだ。ひょうちゃんが描かれた配送車を見ると、「荷台に乗って、積み込まれているシウマイ弁当を端からひたすら食べたい。」と言うのだ。長きにわたる入院から、私が退院すると崎陽軒のお手拭きのついた割り箸が、優に200本を超えていた。もはや崎陽軒中毒だ。
 月に4回以上は、崎陽軒のお弁当が夕飯なので、「いつもどうもありがとうございます。」と言われるなじみ客となっている。買わない日は、崎陽軒の○○さんが、おいでおいでと手招きしたと、良人はうそぶく。飽きない理由は、シウマイの美味しさと同等に蒸されたご飯の美味しさだとう思う。それから、添えられた、甘い味付けの筍煮、一つの唐揚げ、かまぼこ、卵焼き、一口大のカジキの照り焼き、昆布の佃煮、干しあんずという脇役とのバランスなんだろうと思う。ご飯の量に丁度いい具合なのだ。シウマイ弁当はこれで750円。春に消費税が上がると、いかほどになるのかな。購入回数が多いので家計を揺るがす大事件になりそうだ。

2014年1月22日水曜日

入院心得8

入院中もマスクを。入院中だからこそです。
ノロウイルス感染の患者が病棟に出始めても、直ぐに病棟の他の入院患者に伝えられない場合があります。そして、ノロウイルスの集団感染で、報道される病院は、一部だという認識が必要です。

2014年1月21日火曜日

入院心得7

入院中、盗難にはご注意を。貴重品はセーフティボックスへ。
その鍵は、常に身につけていることが肝要です。検査、食事、トイレの時に、うっかり置いて出かけませんように。
私が入院している時も、となりのとなりの病室で起こりました。
日曜の見舞客の出入りの多い昼間だったようです。入り口に近いベッドの脇の引き出しから、お見舞い金などが無くなったようです。警視庁の鑑識官も動員されていました。
 永年入退院を繰り返していた人の話によれば、過去には、複数の犯人が白衣を身にまとっていたという事もあったそうです。

2014年1月20日月曜日

有楽町界隈 〜どうか道を聞かないで〜

プランタンで目的達成、さて、何を食べようか? また天丼?とも思っていたけれど、この辺りの天ぷら屋さんは、何せお高い。有楽町インズにあったリーゾナブルな値段の天一は、既になくなっている。松屋でと思ったけれど、気が変わって来ていた。とりあえずダロワイヨでパンを買って、その2階で何かいただければ、それが、らくちんだ。
ダロワイヨヘ向かう道すがら、おーっと目を引いた建物があった。どうやらミキモトの店舗らしい。ぼこぼこと空いた穴は、宝石なんだな、たぶん。こんな大きな宝石を、大きな犬を連れて帰るように、玉転がしのように転がして自宅に持ち帰りたい!寝る場所がなくなってもいい、ご飯を食べるところもなくてもいい。磨いては眺め、眺めては磨くのだ。
 しかし、やはり今は、何よりも健康が欲しい。昼間に、有楽町で会いましょうと言ってみたい。
銀座中央通りで、際立っていたのは、ブルガリの店舗だ。とかくブルガリはぐるぐると巻いたヘビの指輪や時計があるけれど、それだなぁと思いながら、ヘビのモチーフは大好きなので、お、おーとうなってしまった。セルペンティと言うらしい。
道をはさんでは、ヴィトンだ。
2011年は、希望の翼が並んでいたけれど、3回目の2013年は、「希望の輪」をテーマに、銀座から東北へ幸せを願う思いを届けるということだそうだ。

東京五輪のお土産は、ブルガリではなくミキモトの真珠となるんだろうな。
プランタンで9時までうろうろと粘ったので、ダロワイヨのお食事タイムには間に合わず、パンもほとんどなく、バターロールをぶる下げて、ダロワイヨを出た。銀座の夜のお食事処は意外と早じまいだ、まして土曜日は尚更のこと。みんなお昼間にお買い物なのだから。どっと気が重くなっていた。直ぐ近くに、イタリアンのお店を発見。まだ営業中の雰囲気だ。店内も暗そうな予感がした。
 本当は、しがない喫茶店で、千円でおつりがくるナポリタンでいいという気分なのだけれど、こんな夜の銀座でそんなお店を探すのは至難の技だ。地下へ続く階段は長いけれど、もう大丈夫。ビタミンH(ビオチン)のおかげで突如、歩くことができるようになったのだ。しかし、右足の筋肉はすっかり落ちてしまっていて、階段はなかなか難しかった。ようやく2年半余が過ぎて筋肉が徐々に戻ってきたのだ。息を吸って、よし!と下ろうとした、その時、誰かが声をかけてきた。
「しぇいしぇい、しょうー」
???「えっ!」
「しぇいしぇい、しょうー」
???「えっ!」
私は4回も「えっ!」と聞き直してしまった。早口な言葉は、何語なんだろう。中国語?韓国語?50歳を過ぎているであろうおっさんだ。
道を尋ねているのだろうか?私に聞かれても、いつくかの百貨店と、メルサと、コアビルと、銀座ウエストと白いばらしかわからんのに。どうしたものか。4回目の「えっ!」の後
「いっしょに、ごはんをたべましょう」と言っていることが、ようやくわかった。驚いて、口をついて出た言葉は、
「どうもありがとう」だった。ありがとうに「どうも」までつけてしまった。声をかけられるのは、一昨年の夏以来だったのだ。
断ったけれど、情けなかった。こういう事が滅多になくなって、何を言われているのかもわからずに、あげくに「どうもありがとう」とお礼を申し上げる始末だ。
おかげで、店内は予想どおり暗くて光線過敏の私には快適な空間だったはずなのに、しっかりとしたトマトの酸味が、口に残っただけだった。


すずらん通りを横目に、ひたすら銀座ウエストに向かう。土曜日は早じまいだけれどやっていて欲しいと祈るように。
籠の中には靴。
シャネルにも春。
そして、銀座ウエストはクローズだった。新春と和がぷんぷんのミズレイコを堪能して、この時間は不二家かな?と思いつつ、
朝の4時まで営業しているお店、ロンドンパブを発見。
店内は、アルコールを飲んでいる客が多かったけれど、コーヒーとプリン。コーヒーは深煎りで、好みだったし、プリンと言われた、ブリュレは美味しかったので、満足できた。
 数寄屋橋交差点で有楽町マリオンを仰いで、駅へと向かった。
駅のホームには結構な人がいて、新幹線が通過するたび、手をふる女性鉄ちゃんは、友人に電車の名前を熱く語り、黄色い線の上に、向かい合って抱き合う男女は、堅くくっついたまま、電車がホームに入ってきたら離れるのだろうか? いろんな人で溢れていた。

2014年1月19日日曜日

有楽町界隈









今夜は気合いが足りず、出発が真っ暗になって30分以上も過ぎた6時15分となってしまった。
目的は、2つの穴が間もなく空きそうな手袋の購入だ。気合いがない、理由も2つ。
一つは、財政が逼迫していること、二つ目は、通院の日の木曜から喘息が始まっていることだ。財政危機の原因究明を急がなければと思いながら、明白な気がしていて、あやふやにしている。
湿気た百貨店の商品券を探し出して、バッグに詰め込んだ。
喘息対応は、 普段のマスクを、3日前から烏天狗のようなPM2•5対応のマスクに替えた。しかし、今宵は烏天狗は、やはり恥ずかしいので普通のマスクにした。
 三ヶ月間の、痛みを伴う足の指のタコはもう永遠に不滅かと、諦めていたけれど、数日前に何故か突然収束 して、ステッキ片手に心とは裏腹にステップは軽やかだ。土曜夜6時を過ぎた昇り電車はラクに座ることができた。








「新橋、新橋」と聞こえて、思わずはっとする、降りなくちゃ。
おやじ達と混じって昇降を繰り返した新橋には、私の青春と健康があった。
有楽町で下車すると、ブロッコリーのような緑のイルミネーションに、すっかり財政難のことは忘れて、心が躍った。
有楽町と言えば、今月3日に駅に隣接するパチンコ屋の火災で、Uターンラッシュの中、新幹線が106本運休し、238本が遅れ、京浜東北線、山手線、東海道線も125本が運休し、240本の電車が遅れるという大事態になった後だ。

しかし、私の目的は火災現場の検証ではない。今にも穴の空きそうな手袋を替えるべく新しいのを買うことだ。
かつて、今の手袋を購入した先、よく宝くじが当たると言われている西銀座デパートをちらと見るも、ショップはすっかり様変わりしていた。
次なる行き先は、プランタン銀座だ。
プランタンは、ダイエーが鳴り物入りで華々しく開業した(らしい)。しかし、今はどこが経営しているのやら、百貨店商品券は果たして使えるのだろうか?下調べもしなかった。どうやら今は、土地建物の所有者である読売新聞社が経営しているようだ。かつては、この有楽町にはそごうもあった(らしい)。
 プランタンには、ファーや手袋など小物が溢れるようにあった。そうだ!昔から小物は、充実していたな、と思い出した。今回はお江戸の百貨店で、ここもお江戸だけど、思う手袋が、なかったので流れ着いて、それじゃ有楽町となったわけだ。
 なんせショッピングは6年もの永きに渡りブランクがあって、その間の社会環境の変化とともに百貨店の方向性も、何もかもが変わっている。ショッピングなんて、病気が重くて、夢のまた夢だった。入退院を繰り返した後は、股関節のトラブルで狭い自宅のトイレまでの歩行もままならず、化粧品も良人が買い歩くという有様だった。今は重い光線過敏の症状で夜しか外出できないけれど、自らの足で歩いて、夜だけでもショッピングができることが、例えようのない喜びだ。
いくつかの手袋をピックアップして、お客のいないワゴンに広げて、かたっぱしからはめてみた。犬が余る餌を裏庭に掘って仕舞うように、他の誰かに買ってしまわれないようにまずは、「囲う」のだ。かつてのやり方が蘇って来た。迷って二つ買ってしまおうかとも思ったけれど、財政状況を鑑みて一つに留めた。おまに、百貨店の商品券を使うことができた。
 次にプランタンのマルシェで、思いがけず座布団カバーを買うことができた。
今やクッションカバーは数々あれど、座布団カバーなるものは、なかなか売っていないのだ。 この露天のマルシェは昔から、ちょっといいものがあった。





感慨無量で空腹を感じないけれど、何かお腹に入れなくては!プランタンを後にした。つづく

2014年1月18日土曜日

木瓜

夜のアスファルトから足に寒さが一直線だ。
ひたすら、寒い、寒いと歩いて、 赤にはっとした。
一体何が赤いお包みにくるまっているのか。
時節柄、梅?
ボケを赤いお包みに包むのは意味があるのだろうか?
調べたけれど、よくわからなかった。
今日は、ヒヤシンスが包まっていた。
やはり意味は、ないようだ。
こちらは、お茶缶が包まっているようだ。
昨日の通院の疲れが、やはりまだ残っていて、だるいし、ぼーっとしている。 試験紙でおしっこを調べて、ちょっと安心。
私も包まって眠ろう、また明日。